
あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン
「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。 第一弾は、南北戦争の時代を生きたアメリカの詩人エミリー・ディキンソン。 彼女は生涯を自然の中の家の中で白いドレスを着て過ごし、ほとんど外にでることがなく、窓から差し込む光を頼りに詩作を続けました。

エミリー・ディキンソン「世界に春が芽吹いたら」
あなたへ こんにちは。吹く風に柔らかな春を感じられるようになりました。おかわりありませんか。まだ寒の戻りもあり、厚手の衣類をしまったり、また引っ張り出したり、身にまとうものも定まらない日々です。
エミリー・ディキンソン「水を喉の渇きが」
あなたへ こんにちは。 節分をまたぎ、暦は冬から春になりましたが、しかめ面の北風はまだまだ健在で、春はどこか遠くで眠ったままのようです。
エミリー・ディキンソン「降り積もる歳月は」
あなたへ こんにちは。新たな年を迎えた鐘の音も遠くなり、日常の鼓動が戻ってきました。寒さも一段と深まりましたが、いかがお過ごしですか。
エミリー・ディキンソン「『希望』は柔らかな羽をまとって」
あなたへ こんにちは。街のイルミネーションに足をとめ、白い息を深く吐きながら、新しい年へ歩みを進める時期になりました。冬らしい冷たい風吹く日が続きますが、おかわりありませんか。
エミリー・ディキンソン「100 年の月日が流れたら」
あなたへ こんにちは。今年の後ろ姿が少し見えてきましたが、「いや、まだ行かないで」と今年の袖を強く掴みたい毎日です。おかわりありませんか。
エミリー・ディキンソン「宝ものをにぎりしめて」
この連載は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けする手紙のようなラジオです。 - [Spotifyで購読する](https://open.spotify.com/show/33hT8RkguT7NTMJedCdPGK "Spotify")- [Googleポッドキャストで購読する](https://podcasts.google.com/feed/aHR0cHM6Ly9hbmNob3IuZm0vcy8yZTk5ODQ0MC9wb2RjYXN0L3Jzcw==)---あなたへ こんにちは。秋と冬がすれ違うかすかな風を、スカートの裾に感じる季節になってきました。おかわりありませんか。 季節の変わり目は、頭痛がする日があるのですが、その引き金となる失くし物をしてしまって、ちょっと困っています。眼鏡です。手元を見る時だけにかけるので、ちょっとどこかに置いたまま忘れてしまうことがしばしばで。 何かを失くすたび、これまで失くしてきたものたちのことも思い出しては、「ああ、あれは結局どこに行ってしまったんだろう」と、ちょっと胸がチクリとします。失くしものは、日用品だったり、思い出の品だったり。物じゃないないものもあります。 それは、途切れてしまったあの頃の夢や、あの時の目標や。大好きだったあの人との時間や。それから、自分の誕生日を迎えるあのワクワク感もどこに行ってしまったんだろうと思いましたが、それは失いながら別の感情が引き出されて来ました。 失くしものにも「その先」があるのですね。 失くしたものは、今もどこかにあって、遠くからこちらを見つめている。そんな風に感じることがあります。 「いま、君から何が見えますか?」 私から離れていったものたちから、私はどんな風に見えているんだろう。失くしたものから見える景色を手繰り寄せたら、再び巡り会えるような気もして。そんな後ろ髪を引かれながらも、今日は「失くしたものが残すもの」が、愛しくなるような詩をおくります。 > I held a Jewel in my fingers — > And went to sleep — > The day was warm, and winds were prosy — > I said "'Twill keep" — > > I woke — and chid my honest fingers, > The Gem was gone — > And now, an Amethyst remembrance > Is all I own — > > 宝ものをにぎりしめて > 眠りについた > その日はあたたかく > 吹く風はいつもと変わらなかった > 「ずっとこのままで」そう思っていたのに > > 目が覚めたら > 宝ものはどこかに消えていた > 嘘のつけないこの指を責めたくなる > そして今、アメジストの透き通る記憶が > この手のひらに残されたすべて 私たちは、時間や若さや、あらゆるものを失い続け、その記憶にすっと背中を支えられ、そっと押されるように、生きていゆくのですね。 私の失くしものは頭が痛いですが、いつかあなたが失くしたものが、あなたを見守ってくれていますように。遠くで、いつも祈っています。 あなたのいない夕暮れに。文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣 ## 小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。2020年 秋 小谷ふみ