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エミリー・ディキンソン「私は名もなき隣人 あなたは?」


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by 小谷ふみ

この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

nobody


あなたへ

こんにちは。草木がみずみずしく潤う季節になりました。おかわりありませんか。
この季節になるといつも、雨の合間を縫って楽しみに散歩をする場所があります。それは、住宅街の中にポツンとある家一軒ほどの大きさの田んぼです。冬の間は枯れた空き地のようなのですが、梅雨が始まるころ水が引かれ、幼い苗が植えられます。
そしてある時期を境に、夜の田んぼを舞台にした小さなカエルたちの大合唱が始まるのです。

カエルたちは、私が近づくと足音か気配を察知してピタリと鳴き止みます。通り過ぎてしばらくすると、また鳴き始めます。どんなカエルが鳴いているのか、姿を目にとらえたくてそっと近づいてみるのですが、いつも同じところで気づかれてしまいます。青い闇の中で、カエルとの「ダルマさんが転んだ」を繰り返すうち、田んぼ全体が巨大なカエルのように思えてきます。
翌日、昼間に通りかかった時、よく目を凝らして見てみると、青い巨大なカエルは、指先で摘めるほどの小さなカエルでした。

昔、近所の池に大量に発生したおたまじゃくしを捕まえて帰ったことがあります。数日経ったある朝、小さな手足を生やしたおたまじゃくしたちは、カエルと呼ばれるにふさわしい姿になり、蓋をしていなかった水槽から飛び出していました。小さなカエルだらけになった玄関で、半泣きになりながら、一匹、一匹、捕まえ、水槽に入れ、蓋を閉めて池に戻しに行きました。水槽は、おたまじゃくしの時よりも重く感じられ、カエルたちが道路に飛び出さないよう、ぎゅっと力を込めて蓋を押さえた手の痺れを、今も覚えています。
我が家の玄関で変態した記憶を持つ命が池の中で受け継がれ、今、田んぼのカエルの中に、彼らの子孫がいるのではないかと思ったりもします。とはいえ、「あの時のカエルのお孫さん?」などと確かめようもなく、今夜もただ、名もなきカエルの鳴き声を聞いています。

今日は、そんな、名もなきカエルの自問自答のような詩をおくります。

I'm Nobody! Who are you?
Are you — Nobody — Too?
Then there's a pair of us?
Don't tell! they'd advertise — you know!

How dreary — to be — Somebody!
How public — like a Frog —
To tell one's name — the livelong June —
To an admiring Bog!

私は名もなき隣人 あなたは?
あなたも 同じ?
じゃあ これからを ともに?
内緒にね みんなおしゃべりだから

何者かになろうなんて うんざり
カエルのように みんなに知られようと
6月のあいだずっと その名を叫び続けるなんて
自分をほめそやしてくれる 沼に向かって

名前の「名」という漢字の由来には、夕刻の暗闇で「あなたは誰?」と尋ねることからきているものがあります。
夜のとばりが降りる中、私を知らない誰かに「あなたは誰?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。自分の名前や肩書きを答えても、闇の中では風の音と同じです。自分が何者か答えられるようになりたい、
誰かになりたい、そう願う時もありますが、未だどれもピンとこないまま生きています。

カエルは鳴き声で、その存在をアピールします。好きな相手を引き付けるため、敵を遠ざけるため、その時々に鳴き声を変えながら。
誰かに自分を見つけて欲しくて、いいね、すてきねと言われたくて、声をあげる。一方で、そのことに辟易して、耳を塞ぎたくなり、口をつぐみたくなりながらも、「私はここにいる」と叫ばずにはいられない。それは、生きものの本能なのかもしれません。

夜の散歩の帰りに寄ったコーヒー店、入り口の棚の上にカエルが一匹ちょこんと座っていました。店員さん曰く「この時間になると現れて、いつの間にか居なくなるんです」。出入りする人はみな、その存在を認めていて、いないと心配になり、いるとほっとするそうです。
当のカエルは、周りがどう思うかなどお構いなしに、自らが選んだ場所に小さく座り、鳴きもせず、心地よさそうに6月の夜風に吹かれていました。

今夜も、自分の内から外から鳴きやまぬ、名もなきカエルの大合唱。
その奥に鎮座する、鳴かないカエルに耳を澄まして。

また手紙を書きます。
「あなたは誰?」と問いながら。

あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ

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小谷ふみ

書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。

夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。

本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。

http://kotanifumi.com/