エミリー・ディキンソン「真実をありのまま語って でも目を合わせずに」
by 小谷ふみ
この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。
あなたへ
春の新生活のざわめきも遠ざかり、日常が静かに落ち着いてきました。
おかわりありませんか。木々の緑が日を追うごとに濃くなり、散歩をするのに気持ちのいい朝も多くなりました。最近は、少し荷物になってもカメラを持って歩くようにしています。
今、私の元には、大中小3つのカメラがあります。ひとつは、祖父から受け継いだ古いお爺ちゃんカメラ、もうひとつはコンパクトなデジタルカメラ、そして文字通りおもちゃのようなトイカメラ。棚の上に、黒とシルバー、合わせて3つの相似形が並ぶ様子は、三兄弟のようでとても可愛らしいです。
特に末っ子のトイカメラはネックレスのようにいつも首から下げています。本体は片手のひらに包まれてしまうサイズで、「それで本当に撮れるの?」とみんな驚きます。確かに、小さいだけでなく、よく見るとレンズも歪んでいるし、シャッターボタンを押しても音がしないので、撮れているのか不安になります。
でも、ちょっと残しておきたい瞬間に、小さな付箋を付けるようにカチッとボタンを押しておく。撮られる方も、おもちゃのウインクに構えることなく、ありのままでファインダーに収まります。
後日、パソコンにつないで撮った写真を開いてみると、これが驚くほど……ひどい写りなのです。手ぶれは当たり前、笑顔など横に縦に歪んで、いつどこで撮ったのかも思い出せないような、ちょっと笑ってしまうような写真がたくさん。でも、それがとてもよいのです。いびつになった世界は、妙に安らぎます。
結局のところ、カメラに映るものも、私たちの瞳に映るものも、光りを反射しただけのよく似た虚構に過ぎなくて、真実の形や姿など誰も見ることができないのかもしれません。
それでも、人は真実に近づこうとします。
最近は、携帯電話のカメラの画質も性能も驚くほどよくなりました。でも、鮮明になり過ぎた世界に、少し疲れを感じる時があります。
今日はそんな眩しすぎる真実を見つめる時のヒントになるような詩をおくります。
Tell all the Truth but tell it slant —
Success in Circuit lies
Too bright for our infirm Delight
The Truth's superb surpriseAs Lightning to the Children eased
With explanation kind
The Truth must dazzle gradually
Or every man be blind —真実をありのまま語って でも目を合わせずに
まわり道に そっと横たえて
日々のささやかな悦びには 眩しすぎるから
真実の秘めたる 息をのむような驚きは子どもたちが稲妻を恐れなくなるように
やさしく説いて
真実はゆっくりと その光りを放つといい
そうでないと みんな目が眩んでしまうから
中学生の頃、遊園地で鏡の迷路に入ったことがありました。そこでは、すべての壁が鏡でできていて、本物の歩ける道と、鏡に映っただけの道を見分けながらゴールを目指します。
最初は友達とはしゃいで歩き回っては、鏡にゴツンゴツンぶつかって、また別の道を歩きまわって……を繰り返していました。そのうち、少しもうまく先に進めないことに疲れ始め、ふと、立ち止まり、鏡の自分を眺めてみました。必要以上に明るく振る舞いがちな自分は、鏡の中でも笑顔でした。でも、鏡を映す鏡のまたその奥を覗きこむと、そこに立っていたのは、ムスッとした見たことのない自分でした。
笑顔と笑顔の鏡の隙間に、本当の姿を見た気がしてドキッとし目を逸らしてしまいました。
ゴールを出る頃に、私だけでなく一緒に入った友達も少し泣きそうになっていたのは、迷路からなかなか出られなかったから、それだけではなかったように思います。
楽しさに混じる、真実に似たものの正体は、しじみの味噌汁に混じった一粒の砂のようでした。
私たちはさいごまで、自分の本当の姿すら自らの目で見ることができないのなら、心に触れてくるものの感触や温度で、その存在を確かめてゆくしかないのですね。
鏡のようなこの世界で、
しじみの砂のような真実ではなく、トイカメラのようなかわいい嘘を、
あなたへの言葉にしのばせて、また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ
小谷ふみ
書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。
夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。
本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。