エミリー・ディキンソン「かなしみのように ひっそりと」
by 小谷ふみ
この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。
あなたへ
こんにちは。夏の炎を吹き消すような、涼しい風が吹く季節になりました。おかわりありませんか。
思い出したように火照る日はまだありますが、燃え盛る夏の間には出来なかったことに、やっと手を伸ばしています。
今日は、海外に住む友人に手紙を出しました。エアメールを書くのは数十年ぶりで、宛名の書き方を思い出そうとしていたら、学生時代の色あせかけた記憶も一緒に引き出されてきました。
高校時代に、アメリカで寮暮らしをしていた時のことです。
車で1時間は走らないと町に出られない田舎町での日々に、日本から送られてくる荷物や手紙は、一番の楽しみでした。
毎日、カフェテリアで朝食が終わるころ、手紙や荷物が届いている人の名前が呼ばれます。名前を呼ばれた人は嬉しそうに取りに行き、呼ばれなかった人は羨ましそうにその様子を眺めます。
自分宛の手紙があった日は、そそくさと部屋に持ち帰り、ひと息つきます。そして、青と赤の縞模様に縁取られた封筒を丁寧に開くと、まずは一気に読み、それから一字一字ゆっくり読みます。すると、手紙の内容はもちろんですが、筆圧で出来た文字のでこぼこや、インクのにじみ、手の湿気で少しよれた、薄く柔らかな便箋そのものが愛しく感じられるのです。
あんなに待ち遠しく、嬉しかったエアメール。あの小鳥の羽のような便箋と封筒の生産を、今はもう終了したメーカーがあるそうです。電子の手紙にその居場所を譲っていたことを知った時は、とても残念で寂しく、同時に、ちょっと後ろめたい気持ちにもなりました。
それは、去りゆく季節への、惜別の感情に似ていました。
今日は、静かに去った夏に、残された者が想いをしたためた日記のような詩をおくります。
As imperceptibly as Grief
The Summer lapsed away-
Too imperceptible at last
To seem like Perfidy-A Quietness distilled
As Twilight long begun,
Or Nature spending with herself
Sequestered Afternoon-The Dusk drew earlier in-
The Morning foreign shone-
A courteous, yet harrowing Grace,
As GUEST, that would be gone-And thus, without a Wing
Or service of a Keel
Our Summer made her light escape
Into the Beautiful.かなしみのように ひっそりと
夏は過ぎ去った
背を向けられたことに
最後まで 誰も気づかないほど夜のとばりが ゆっくり降りるように
静けさの雫が にじみ出て来る
窓の外の午後は 誰に邪魔されることなく
静かに自然の時を刻む夕闇は ますます足早に深まり
朝日は 今までとは違う輝きを見せる
それはまるで
ともに過ごした人が去っていくよう
こちらを気遣いながら
でも 切なくなるほど優雅にそうやって 翼も
船の便もないのに
私たちの夏は 軽やかにすり抜けて行った
美しき彼方へと
日本からのエアメールは、隠したホームシックを優しく包んでくれたものでした。また、外国から届いたものは、居ながらに異国の遠い空へと連れ出してくれるものでした。
大学生の頃、ヨーロッパへ放浪のひとり旅に出た友達から、1週間ごとに旅の記録が送られてきたことがありました。そこには、写真や記憶には残しきれないことが淡々と、紙いっぱいに書かれていました。放浪の旅なので返事を書きようもなく、一方通行の手紙は、空から届く旅の本のようになりました。
恋人ではなく、なぜ私に託すのかと当時は不思議に思いましたが、今なら分かるような気がします。恋は、やがては消えて去る、ひとつの季節ようです。儚い風が吹くことのない誰かに、孤独な旅の歩みを知っていて欲しかったのかもしれません。
今も手紙を保管していることを、照れ屋の友に伝えられずにいます。いつか大人になったら箱ごと渡そうと思っていたのですが、どれほど大人になったら、青い春が残した旅の手紙を、恥ずかしい気持ちにならずに読めるでしょうか……我が身に置き換えては、計り兼ねています。
私たちのもとを去った季節は、今も意外な姿で眠ったまま、
いつか箱のふたが開く、その時を待っているかもしれません。
あなたとの、このやりとりも、
私たちが生きた日々の足跡になってゆくのかなと思いながら、
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ
小谷ふみ
書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。
夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。
本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。