エミリー・ディキンソン「天国はきっとすぐそばに」
by 小谷ふみ
この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。
あなたへ
こんにちは。太陽が直接吹きかけてくるような熱い風が、町を真夏の色に染めてゆくような日々ですね。おかわりありませんか。
我が家の庭では、夏が熟すのと歩調を合わせるように、ホオズキが濃い橙(だいだい)に熟れてきて、夜、暗い庭を眺めると、ぽっぽっと浮き上がって見え、お盆が近いことを感じさせます。
先日、一足早く父とお墓参りに行き、暮らしを共にしていた動物たちが眠る場所へも行きました。昼間でも薄暗い通路を渡り、ずらりと並んだ扉の一つを開けると、時が止まったような愛犬たちの写真が出迎えてくれます。
写真の向こう側から、変わらず愛らしい視線をこちらに向けている犬たち。鼻と胸あたりに迫るものを、黙って感じていると、「おお!元気にしてたか?」と写真を手に取り、歴代七匹の名を一匹、一匹、点呼する父。そして、「またな!がんばれよ!たのむよ!」と片手をあげます。
その声がけに、何か間違っているような、間違ってはいないような……おかしな気持ちになっていると、鼻にツンと迫っていたセンチメンタルも遠のきました。
帰り際、「来る度に、もう会えないんだなって思うね」と呟くと、「秘密の通路があったりして」とぽつり。もう一度振り返ったら見えるかなと、角度を変えて何度も振り返りながら帰ってきました。
これから、父の言葉を思い出しつつ、ホオズキを収穫してお盆の準備をします。
数年前、家族のリクガメが亡くなってから、お盆の行事のようなことをしているのですが、亀が、馬や牛に乗って帰ってくるのはちょっと難しいかなと、ナスやキュウリの代わりに亀の形をした風鈴を玄関にぶらさげています。ゆっくり歩く彼のためにお盆より少しだけ早く、そして道に迷わないように、あるだけのキャンドルを門に灯し、そばにホオズキを置きます。するとホオズキは、ロウソクの光をまとい、橙色の灯篭のようになるのです。
夏の闇にホオズキキャンドルを灯すようになってから、早くにあちら側に行ってしまった友や、会ったことのないご先祖様も、ちょっと立ち寄ってくれるかもしれないと思うようになりました。それからは、あの人の好きだった色の花や、小さなおむすびなども用意しています。
帰ってきた魂は、空洞のホオズキの中に宿ると言われています。
小さな旅館の一室のようなホオズキに「元気だった?」と声をかけながら、私たちはあと何度「迎える側」の夏を過ごすのでしょう。
今日は、夏のたび少しずつ近づいている「秘密の通路」の向こう側、その存在を感じる詩をおくります。
Elysium is as far as to
The very nearest Room
If in that Room a Friend await
Felicity or Doom--What fortitude the Soul contains
That it can so endure
The accent of a coming Foot--
The opening of a Door—天国はきっとすぐそばに
一番近い扉の向こう
誰もが望む歓びか
終わりを告げる哀しみか
その部屋のなか 友が待つのなら魂は挫けることなく
じっと待ち受ける
近づいてくる足音を
開きつつある扉を
今年は祖母の新盆でもあります。大往生だった祖母の葬儀は、涙と笑顔のお別れ会でした。帰宅後、疲れてベッドになだれ込むと夢を見ました。
それは、クルクル回る光の輪の夢でした。
光は目を開けていられないほど強く、それでも瞳にグッと力を入れよく見てみると、私たち孫やひ孫たちが、子どもに戻った姿で手をつないで輪になってクルクル回っているのです。
その中にひとり、知らない女の子がいました。
そして、その少女は「おばあちゃんだ」とすぐに分かりました。
光はあまりにも眩しく、顔はよく見えないけれど、それはまちがいなく少女に戻った祖母でした。私はただじっとクルクル回り続ける光の輪を、目が覚めるその瞬間まで見つめていました。
人は、「秘密の通路」を抜けて、
夢と現実のような、あの世へ、この世へ、隣の部屋へ。
それはいつも一方通行のように見えて、きっとクルクル回る光の輪のように。
今年は、ホオズキキャンドルに、祖母の好きだった甘納豆も用意するつもりです。いつか、私の番が来たら、玄米多めのフルーツグラノーラがあると嬉しいです。
当分その予定はありませんが、忘れたころ、手紙にまた書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ
小谷ふみ
書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。
夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。
本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。