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エミリー・ディキンソン「心が踊るのは踏み出すこと」

この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

going


あなたへ

こんにちは。
四季の色が春のピンクから新緑のグリーンに変わりつつあります。新年とはまた違った意味で気持ちが改まる4月の日々、おかわりありませんか。

春は出会いと別れの季節ですね。でも、新しい出会いとはすぐに仲良くなれるわけではなく、私には別れのインパクトの方が強いようです。川に流れる花びらを見送りながら、この胸の奥からなかなか出て行かない切ない気持ちをぼんやり感じて過ごしています。それでも、時間は、私の感情などお構いなしに、前へ、前へと進み続けてゆきます。
川の水面を桜色に染めていた花いかだは、今ごろ大きな海に出た頃でしょうか。

海と言えば、私が最初に就職した会社は、船会社でした。「物は動くことで価値が生まれる」という就職活動中に出会った物流業界の言葉に胸を打たれ、海を越え価値を生み出す仕事に憧れて、希望いっぱいに社会へと漕ぎ出したのでした。

入社してすぐに、巨大なコンテナ船に乗り、船や港湾について学ぶ乗船研修がありました。キラキラ光る果ての見えない海に浮かぶ大きな船は、港から見上げると大海にそびえる高層ビルのようでした。また、何も積まれていない船の底は、覗き込めば深い谷のようで、冷たく暗い空気に吸い込まれそうで足がすくみました。

こんなに巨大な船の底も、大きな海に浮かべてみれば、銀紙一枚ほどの厚さなのだと聞いて、海の、世界の深さと広さに圧倒されたものでした。私たちの暮らしや、誰かの思いを運んでいるのは、大海原に浮かぶ銀紙の小舟なのですね。

今日はそんな、まだ見ぬ景色への憧れと喜びに輝く船出の詩をおくります。

Exultation is the going
Of an inland soul to sea,
Past the houses—past the headlands—
Into deep Eternity—

Bred as we, among the mountains,
Can the sailor understand
The divine intoxication
Of the first league out from land?

心が踊るのは踏み出すこと
内なる地で育まれた心が海へと向かう
家々を通り過ぎ—岬を越えて—
深く果てしない旅へと

山に囲まれ育った私たちのように
船に生きる人たちに分かるだろうか
霞む大地をあとに 深き海へ出た瞬間の
えも言われぬ高鳴るこの気持ちが

私の社会人としての初めての航海は、うまく行かないことや失敗続きで、会社や社会にというよりも、自分自身にがっかりし、不甲斐なさに打ちのめされることばかりでした。今思い出しても恥ずかしく、苦い思いがします。

「物は動くことで価値が生まれる」その言葉の意味と同じように、泣いたり、がっかりしたり、それでも前を向こうと踏ん張ったり、...踏ん張れなかったり、揺れ動く心そのものが、その人がその人たる所以となる、そう思えるようになったのはつい最近のことです。
何も感じなくなくなったら楽なのにと思うこともありますが、いいことも、よくないことも、「心が動くことで自分になる」ということなのかもしれません。

そうやって、自分を知りながら、世界を知りながら、銀紙の小舟は海をゆきます。ある海でうまくいかなくても大丈夫、海は7つもあるのです。
しかも、その海は結局のところ、ぜんぶ繋がっているのです。バラバラに見えて、よくできたひとつのストーリーだったと思う瞬間は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。

あなたの小舟が、銀色に輝く意志のもとに、風の吹くまま帆の向くままに、心地よい然るべき場所へ、導かれてゆきますように。
近くに浮かぶ小舟から、いつも祈っています。

また手紙を書きます。

あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ

小谷ふみ

プロフィール写真

書く人。詩・エッセイ・物語未満。 うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。

夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。

本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。

http://kotanifumi.com/