新訳 「茶の本」 第一章:茶に広がる人間性(2/4)

by 高崎健司
< 前回からの続きです。
第一章.茶に広がる人間性 (2/4)
このような誤解は急速に消えつつある。
経済的支配関係は東洋の港を開港させ、西洋の言葉を強制してきた。
アジアの若者は近代的な教育を求め、西洋の大学を目指す。
東洋は西洋文化を深くまで洞察できていないかも知れないが、知ろうとしている。
われわれの同胞の中には、自分たちの文化を捨てて堅い襟と高いシルクハットを身につけることが文明化であると勘違いしてしまったものもいる。
うわべだけを取り入れ文明化した気になるのはなんとも嘆かわしいが、膝をついてでも我々が西洋に近づこうとする意思の表れでもある。
だが残念ながら、西洋に東洋を理解しようとする意思は見られないのだ。
キリスト教の宣教師は説教するだけで、東洋から何ひとつ学ぼうとはしない。
西洋は、通りすがりの旅人の噂話レベルでないにせよ、東洋が積み重ねてきた膨大な文学のほんの一部に基づいた情報しかもちあわせていないのである。
幾人かの良心をもった西洋人、ラフカディオ・ハーンの騎士のような筆や『インドの生命の織物』の著者、マーガレット・ノーブル※の筆が、優しい灯りで東洋を闇の中から照らそうとしてくれたことはあっても。
※天心はマーガレット・ノーブルに母を重ねていた可能性あり。
このように私がはっきりと語ってしまうことは、茶の精神を裏切ることになるかもしれない。
礼儀とは、相手の期待する振る舞いをし、それ以上語らないことにあるからだ。
だが、私は礼儀正しい茶人になるつもりはない。
西洋と東洋に横たわる誤解がこれほどまでに害悪をもたらしてきた以上、互いの理解を進めるべく礼儀を捨ててでも行動しよう。
もしロシアが日本をもっとよく知ろうとしていたら、20世紀はこのような血生臭い戦争で幕をあけることはなかったのだ。
東洋の抱える問題を軽蔑し、無視することは人類全体に大きな災いをもたらす。
ヨーロッパの帝国主義がアジアの脅威を誇張し「黄禍論」を生み出し、その不条理がアジア側にもまた「白禍論」という、やらなければやられるという感情を生み出す可能性があることにまだ西洋は気づいていない。
「茶気がありすぎる」とあなたたちは嘲笑するかもしれません、しかし、われわれから見ればあなた方に「茶気がない」と言わざるを得ないのです。
互いの批判をもうやめて、完全に理解し合えないまでも、世界が西と東に分断されてしまっていることをともに悲しもうではありませんか。
われわれは異なる歴史の線にそって発展してきたが、それは互いに補い合ってはならないということ意味してはいない。
西洋は心のやすらぎを失うかわりに、領土を拡大してきた。
東洋は侵略には弱かったかもしれないが、そこに調和のある社会を生み出してきた。
信じられないかもしれないが、東洋には西洋より優れた点もあったのだ。
次回は2025年10月20日(金)公開予定

高崎健司
1983年千葉県生まれ。
2005年国際基督教大学教養学部卒。
ソフトバンク(株)で4年半Webサイト構築の仕事に従事した後に、独立。
2011年、ECサイト制作に特化したnon-standard world株式会社を起業。
2022年、「揺れやすい心のよすがになる物事を作る」というコンセプトのもと、
yori.so gallery & labelを立ち上げ、アーティストと物事を共創する。
美しさとは?人の心とは?組織とは?という問いを探求するなかで、岡倉天心の茶の本と出会い、その魅力に取りつかれる。