新訳 「茶の本」 第四章:茶室(3/7)
:format(webp))
by 高崎健司
新訳 「茶の本」 第四章:茶室(3/7)
日本の偉大な茶人たちはみな禅を修め、禅の精神を生活という営みの中に取り込もうとした。
そのため茶室は、茶の湯のほかの道具と同じく禅の教えが反映されている。
正式の茶室の広さは四畳半と定められているが、これは仏教の初期経典の一つ『維摩経』の一節に由来し、その経典の中で維摩詰が四畳半の部屋に文殊師利と八万四千の仏弟子たちを迎え、真に悟った者に空間は存在しないと説いたという寓話から来ている。
さらに待合から茶室へと客人を導く庭には、外の世界から茶室に向かう露地と呼ばれる細長い道が続いており、瞑想の第一段階である自己の内観へと客人を誘う。
露地は普段生きている世界での役割との縁を断ち、茶室そのものの美しさを味わうことに心を集中させる役割があった。
この庭の道を歩んだことがあるものであれば、誰もが想起するであろう──薄明の椿の中、枯れ松葉の散らばる飛石の調和の取れた不調和をたどり、苔むす石の灯籠のかたわらを通り過ぎるうちに、心が日常とは切り離され、止揚していくあの感覚を。
客人は普段は都市の中に生きながら、この時間だけは複雑化した文明社会から自由になり、森の中で佇むような心になれる。その清らかで澄み渡った静穏のために、茶人たちは実に非凡な工夫を行った。
もっとも露地を通ったときに呼び覚まされる感覚がどのようなものであるかは茶人によって異なる。
千利休のように、荒寥とした孤独、すなわち侘び寂びの中に美しさを見たものもいる。
利休は、露地を作る哲学は次の古歌のうちにあると説いた。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮
『新古今和歌集』藤原定家
"I look beyond;
Flowers are not,
Nor tinted leaves.
On the sea beach
A solitary cottage stands
In the waning light
Of an autumn eve."
岡倉天心:英訳
一方、千利休と並び日本の三大茶人と称され「きれいさび」を生み出した小堀遠州のように利休の荒寥とした孤独と異なる美しさを求めた者もいた。
遠州は、露地の哲学は次の歌のうちにあると言う。
夕月夜(ゆうづくよ) 海すこしある 木の間かな
"A cluster of summer trees,
A bit of the sea,
A pale evening moon."
岡倉天心:英訳
遠州の伝えたかったことを想像するのは難しくない。
過ぎし日のおぼろげな夢の中にたゆたいながら、木漏れ日のような光を浴びて知らず知らず、甘い一瞬の夢に浸り、そうして開ける自由な心への憧憬、それを露地の中に作り出そうとしたのだ。




