新訳 「茶の本」 第四章:茶室(2/7)
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by 高崎健司
新訳 「茶の本」 第四章:茶室(2/7)
茶室は西洋の建築とまったく違うだけでなく日本の古来の建築ともまた大きく異なっている。
茶室が生まれる以前の日本の古来の建築は、普通の暮らしの中の建築においても宗教的な建築においても、その荘厳さという意味で侮るべきものではなかった。
何世紀にもわたる争いの結果、火災によりたくさんの古い時代の建築が失われてしまったが、火災を逃れた建築は今なおその装飾の壮大さによって私たちを圧倒する。
直径で約60センチから約91センチ、高さで9メートルから12メートルにもおよぶ巨大な木の柱が、複雑に合わされた組物(くみもの)の網目を介して、瓦葺きの屋根の重みにうめく巨大な梁を支える構造になっている。
その建築様式や素材は、火には弱かったものの地震には強いことを実証し、日本の風土気候によく適していた。
法隆寺の金堂(こんどう)と薬師寺(やくしじ)の塔が、伝統的な木造建築の注目すべき耐久性を示している。
これらの建築物は事実上、ほぼ十二世紀のあいだ、建築された当時の姿のまま無傷で立ち続けてきたのだ。
古い寺院や宮殿の内部には、ふんだんに装飾が施されていた。
時はさかのぼり、十世紀に建立された宇治の鳳凰堂では、仏像や高貴な人の座の上方に吊り下げた笠状・屋根状の装飾である天蓋と、色とりどりに彩られた鏡や螺鈿(らでん)をちりばめた金色の宝で飾られた蓋(おおい)、そしてかつて壁面を覆っていた絵画や彫刻の遺構を今も見ることができる。
その後、日光や京都の二条城では、構造の美が装飾の荘厳さのために犠牲にされているのを目にする。その色彩と精緻をきわめた細部においてそれはアラビアやムーアの粋を尽くしたこの上なく雅な作品にも匹敵するものなのである。
それに対し茶室のシンプルさと純粋さは禅院に習ったことに由来する。
禅院がほかの寺院と異なるのは、それがただ純粋に僧たちの住まいとして建てられた点にある。
本堂は礼拝や巡礼の場ではなく禅僧たちが集って禅問答を交わし、坐禅をすることで真理に近づくための場であった。
堂内は簡素にしつらえてあり、ただその中央に仏像を安置するためのくぼみが設けられている。
祭壇の奥には、禅の宗派の開祖・菩提達磨の像か、達磨からさらにさかのぼり禅の礎を作った迦葉と阿難を脇に従えた釈迦牟尼像が祀られている。
祭壇には、これらの聖者の禅への多大な貢献をしのび、花と香が供えられている。
禅僧たちが菩提達磨の像の前で一杯の茶を順に回し飲む儀式を行い、それが茶の湯のもととなったことはすでに述べたが、禅堂の祭壇こそ日本の床の間の原型なのである。
床の間とは、部屋における上座であり客人をもてなすために、絵画や花が飾られる場所であった。

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