新訳 「茶の本」 第三章:老荘思想と禅(6/6)

by 高崎健司
< 前回からの続きです。
第三章.老荘思想と禅(6/6)
老荘思想がしばしば儒教と対立したように、禅もまた伝統的仏教と対立した。
瞑想によって悟りを目指すことを目的とした禅にとって、言葉というものは思考を妨げるものであった。
彼らにとっては仏教の経典も、せいぜい物事を分かったつもりになるという注釈の意味しか持たなかったのである。
禅の修行者たちは、悟りによって物事の内面的な本質を捉えることを目的としており、言葉による外面の中途半端な理解は、かえって世界の本質を理解する上での妨げになると考えたのだ。
この抽象への愛ゆえに、禅は、伝統的な装飾が施された仏教画よりも、白と黒の水墨画を好んだ。
禅僧の中には自らの中に仏性を見出そうとするあまり、仏像や象徴を使った偶像崇拝を否定する者まで現れた。
丹霞(たんか)和尚が、冬の寒い日に、木像を使って火を焚いた話がある。
「なんと罰当たりな!」と横にいた者たちは叫んだ。
「灰の中から仏陀の遺骨を取り出そうと思ってな」と和尚は穏やかに答えた。
「仏陀の遺骨など出てくるわけがない!」と周囲は怒り叫ぶも「もし出てこないのであれば、これは仏ではない。それでは尚の事、私は何も冒涜などしてないではないか」と和尚は身を翻し、焚き火で暖をとったという。
東洋思想において、禅の特筆すべき貢献は、世俗的な日々の暮らしも聖なる儀礼もどちらも等しく重要なものとして扱ったことである。
禅は世界のすべてはつながりで成り立っていると説いた。
小さきものも偉大なものも関係なく、1つの原子の中に宇宙全体が存在するのだ。
悟りを求める者は、自らの生活の中の光を映す鏡の中に、それを見出さなければならない。
禅寺の生活は、まさにこの考え方を体現していた。
最高位を除き、禅寺で暮らす全ての修行僧に必ず禅寺を維持するための特別な仕事が与えられた。
興味深いことに、修行の浅い者に軽い仕事が与えられ、高位の者により骨の折れる卑しい仕事が与えられた。
こうした仕事は禅の修行の一部であり、些細な仕事でも完璧にこなさなければならなかった。
こうして、庭の草をむしり、かぶの皮を剥ぎ、茶を出しながら、幾多の禅問答が行われたのである。
茶の湯の理想は、人生のささやかな出来事のなかに偉大なものを見つけるという禅の思想の帰結なのである。
それは老荘思想により美学的基礎を築かれ、禅によって人々の暮らしに浸透したのだ。





