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新訳 「茶の本」 第三章:老荘思想と禅(4/6)


高崎健司

by 高崎健司

< 前回からの続きです。

第三章.老荘思想と禅(4/6)

自分の役を正しく演じるためには、全体を知らなければならない。
全体の関係性の中で存在している個であることを忘れてはならないのだ。
老師は「虚空」という、よく好む例えで描いた。

老師によれば本当に大切なものは「空っぽ」の中に存在する。
たとえば部屋というものの本質は、屋根や壁ではなく、屋根と壁に囲まれた何もない空間にこそ見出されるというのだ。
水差しの本質は、水を入れることのできる空洞に宿るのであり、その形や素材にあるのではない。

虚空はすべてを受け入れるからこそ、すべてが宿る。
虚空の中にのみ、物事は自由自在に変形し、動くことが可能になる。
自分を空っぽにして他人が自由に入ってくるような余白を持った心であれる人こそ、人生のあらゆる状況に対応できるのだ。

全体は常に部分を支配する。
こうした老荘思想は、剣術や柔術まで東洋のあらゆる行動理論に大きな影響を与えてきた。
日本の護身術である柔術は、その名を「老子道徳経」に由来している。

柔術においてあえて力に逆らわないこと、つまり空になることで、敵の力を消耗させ、自身は最後の勝利のために力を温存するのである。
芸術においては、同じ原理で、暗喩の価値における重要さが見いだせる。

作品に余白を残すことで、鑑賞者の想像力によって完成する機会が生まれる。
そして傑作は、鑑賞者が作品の一部になったような感覚になり抗いがたくその心を捉えて離さない。
虚空が存在することで、鑑賞者がそこに入り込め美的な心の動きに包まれるのだ。

そういった生きるうえでの処世術を身に着けた者こそ、老荘思想は真の人と呼んだ。
人は生まれると同時に夢の世界に入り、死に直面してはじめて現実と向き合う。
自らの輝きを誇示することをやめ、一見、凡庸に見える他者の暗闇の中に同化する。
真の人は「冬に河を渡る者のように慎重であり、隣人を恐れるもののように控え目であり、客人のように敬意に満ちており、まさに溶けゆく氷のように震え、彫られる前の木のように素朴で、谷のように空であり、地を流れる水のように形を持たない」という。

彼にとって人生の3つの宝とは、慈しみ、倹約、謙遜であった。

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