新訳 「茶の本」 第三章:老荘思想と禅(5/6)

by 高崎健司
< 前回からの続きです。
第三章.老荘思想と禅(5/6)
老荘思想の教えをもとに発展した禅について、目を向けよう。
禅という名前は、瞑想を意味するサンスクリット語の『禅那(Dhyana)』に由来する。
禅は清められた瞑想を通じて、至高の自己実現に到達すると説く。
瞑想は、悟りに至るまで六つの道の一つである。
禅宗の修行者たちは、釈迦が晩年の教えにおいてこの方法を特に重視し、その方法を一番弟子の迦葉(かしよう)に伝えたと記している。
その伝承によれば、初祖の迦葉はその秘法を釈迦の十大弟子の一人、阿難(あなん)に伝え、阿難はさらに次の祖師へと伝えた。
こうしてその法は歴代の祖師を経て、第二十八祖の菩提達磨(だるま)に至ったのである。
菩提達磨は六世紀の前半に北中国に渡来し、中国における禅の初祖となった。
これらの祖師たちの歴史とその教義については、不確かな点も多い。
哲学的側面において、初期の禅は一方では龍樹(ナーガールジュナ)の、この世界はすべて「空(くう)」であるとするインド的否定主義と、他方ではインドの哲学者、シャンカラーチャーリヤが体系化した智慧の哲学と、親和性を持つように思われる。
今日伝わっている禅の最初の教えは、中国の第六祖慧能(えのう)(637-713)の登場まで待たねばならない。
慧能は中国南部で広く伝わった南宗禅の開祖であった。
慧能のすぐ後に馬祖(ばそ)(788年没)という偉大な祖師が続き、禅を中国人の生活の中に生きた教えとして根づかせた。
馬祖の弟子である百丈(ひゃくじょう)(719-814)は、初めて禅寺を創設し、儀礼と戒律を定めた。
馬祖以降の禅宗において、揚子江流域で発展した精神性が融合し、仏教の影響の強いかつてのインドの観念論とは対照に、老荘思想を含めた中国土着の思想が加わっていくのを見ることができる。
宗派的な誇りゆえ認めづらいかもしれないが、南宗禅と老子、老荘思想の哲学を思索する清談家たちの教えとの一致に感銘を受けずにいられない。
「老子道徳経」には、すでに精神集中の重要性と呼吸を正しく整える必要性への言及が見られ、これは禅の瞑想修行とつながる。
老子への最高の注釈のいくつかは、禅学者たちにより書かれているのだ。
禅もまた老荘思想と同じく、「相対性」に重きを置く。
ある禅の師は、「禅とは南の空に北極星を見出すこと」と表現した。
禅における悟りは、矛盾するものを同時に存在すると感じられてはじめて達することができる。
さらに禅は、老荘思想と同じく個人主義の強き擁護者である。
この世のすべては、私たちの心が生み出したものであり、それ以外に本質的に実在するものはない。
六祖の慧能(えのう)はある時、塔の旗が風にはためくのを眺めている二人の僧を見かけた。
一人の僧は、「風が動いているのだ」と言い、もう一人の僧は「旗が動いているのだ」と言った。 しかし慧能は「動いているのは風でも旗でもなく、お前たちの心だ」と説いたという。
禅僧である百丈(ひゃくじょう)がある時、弟子と共に森を歩いていると、一羽の野うさぎが気配に驚き走り去った。
「なぜ兎は逃げたのか」と百丈は問うた。
「私を恐れたからです」と弟子は答えた。
「違う」と師は答えた。「お前の心に殺意があるからだ」と。
この対話は、老子とともに老荘思想という言葉の由来になった荘子の寓話を思い出させる。
ある日、荘子は友と川のほとりを歩いていた。
「魚が川の中で楽しそうに遊んでいるではないか」と荘子は言った。
「君は魚ではないのになぜ魚たちが楽しんでいるとわかるのか?」と彼の友は問うた。
荘子は答えた。「君は僕ではないのになぜ僕が魚たちが楽しんでいることがわからないと思うのか?」





