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新訳 「茶の本」 第三章:老荘思想と禅(1/6)


高崎健司

by 高崎健司

< 前回からの続きです。

第三章.老荘思想と禅(1/6)

禅と茶の結びつきは周知の事実であり、茶の湯が禅の儀式から育ったものであることは前の章で述べたとおりだ。
禅に多大な影響を与えた道教(老荘思想)の開祖である老子もまた、茶の湯の歴史と深く関わっている。

中国の風俗習慣の起源に関する教科書には客に茶を振る舞う儀礼は、老子の愛弟子である関尹(かんいん)に始まると記されており、函谷関(かんこくかん)の門においてはじめて老師に黄金の霊薬の一杯を献じた故事に由来を持つ。

これが後世の人々による創作であるかどうかの議論に時間を費やすつもりはないが、老荘思想と茶の儀礼が早くから結びついていたことに疑いの余地はない。
老荘思想と禅についての探求は、我々が茶道と呼ぶものに確かに存在する人生と芸術についての思想を明らかにするためにある。

称賛に値する試みはいくつかあったものの、残念なことに、今まで外国語による老荘思想と禅の教義を正しく紹介した文献は存在しない。

翻訳はいつも裏切る。中国の明の時代の著者が、「糸はすべてそこにあるが、色彩やデザインの精緻さが完全に消え去ってしまう、錦織物の裏面でしかない。」という言葉を残しているように。

しかしながら、簡単に説明できる教義など存在するのだろうか。
弟子が真理を悟ったつもりになるという中途半端な理解になることを恐れ、東洋思想の賢者たちは、教義を体系的にまとめることをせず、むしろしばしば矛盾したことを話すことで弟子たちの頭を悩ませた。
彼らはあえて愚者のように語り始め、聞く者を最後には賢者とした。

老子自身もユーモアを交えこう言っている。
「知性のないものは道(タオ)を笑うだろう。しかし笑われなければ道ではないのである。」
道(タオ)とは字義通り言えば、人の通る道筋を表す。

西洋では、「道」「絶対的なもの」「法」「自然」「最高の理性」「様態」などと訳されてきた。
それらの訳は間違いとは言い切れない。
どのような真理を探求するかにより、道の意味は変わるからである。

老子自身はこう述べた。
『すべてを内包するものが存在する。
それは天と地が存在する前に生まれた。
なんと静かなことだろう!なんと孤独なことだろう!
ただ一人で立ち、不変の存在である。
巡り動く中でも、危うくなることなく、万物の母として存在している。
私はその名を知らず、故に道と呼ぶ。
強いて名をつけるのであれば、それは無限である。
無限とは流転であり、流転とは消滅であり、消滅とは輪廻である。」

道(タオ)は道筋という存在にあるのではなく、常に移り変わる流れにこそ存在する。
それは、絶え間なく自分自身に立ち戻りながら、常に新しく形を変えて生まれ変わる世界の変化の本質である。

道は老荘思想を信じるものが、その象徴とした龍のように自らを循環させる。
まるで雲が形を変えながら流れていくように。
道とは大いなる変遷と呼ぶことができよう。
主観的に言えば、それは世界の奏でる調べである。
絶対とは相対であり、すべては関係性で成り立っている。

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