新訳「茶の本」 〜まえがきにかえて

by 高崎健司
茨城県・五浦にある、岡倉天心の墓標
まえがきにかえて
「茶の本」は日本の美術思想家・岡倉天心が、日露戦争の直後、第一次世界大戦に入る前に書いた英語の本です。
茶の本という名前から、お茶の作法の本と思われがちですが、茶というモチーフを通じて、「不完全で儚いものを愛でる」という日本の美意識から、インドで生まれた仏教を母とし、中国で生まれた老荘思想を父としながら日本で育まれた禅の概念まで、茶の根底にある日本および東洋の美意識、哲学、文化を、西洋の言葉で、そして西洋に理解しやすい形で紹介した本になります。
キリスト教における聖書に代表されるように、誰かの教えが明確な論理と言語化によって伝えられる西洋思想、文化とは違い、東洋思想は、茶道から禅まで、師匠が至った悟りに、弟子が修行体験によって至ることを重視しているため、その世界を知らない者にわかりやすい言語によって説明するような本があまりありません。
例えば、だるまさん、一休さんといった名前は、日本人であればほぼ全員が親しみを持って知っている名前です。
しかしながら、彼らが本当は禅の修行者であることを知り、そして「禅の教えとは何か」と聞かれて答えられる日本人は少ないのではないでしょうか。
この事実こそが、教えは書物や言語ではなく、修行体験によって学ぶものという東洋思想の根底を表しているように思います。
第一次世界大戦前の、西洋と東洋の帝国主義的緊張が高まっていた激動の時代に、岡倉天心は体験で伝えることでしか理解が困難とされてきた東洋思想の言語化を通じて、西洋の東洋に対する偏見をなくし、相互理解を深め、平和を実現しようとしたのではないか、と思うのです。
そしてその言語化は「beautiful foolishness=美しき愚かさ」という言葉に現れるように、非常に明晰でありながら美術に造詣の深い岡倉天心ならではの詩情を持った言葉で行われているのも、この本に奥深さを与えています。
また、岡倉天心は東京芸術大学の前身で、日本初の芸術の高等教育機関である東京美術学校の事実上の初代校長であり、日本政府や文部官僚などとの調整、予算などの折衝をしながら、日本画家・横山大観をはじめとした数々の芸術家を支えた、日本美術の守護者であり、組織のリーダーでした。
その意味では、日本初のプロジェクトを率いた起業家とも言えます。
そこにお金や、人と人の権力争いを巡るリーダーとしての孤独があったことは想像に難しくありません。
実際、茶の本は、岡倉天心が派閥争いの末に東京美術学校を追われ、失意の中、海外に活躍の地を求めボストン美術館の東洋美術部長の仕事についた後に書かれたものでした。
また岡倉天心は裕福な商人の生まれで、晩年には英語でオペラを書くことができるほど、英語教育に恵まれた環境で育ったものの、実母を9歳で亡くし、父は再婚、しかし新しい母親は他の兄弟は引き取ったものの、天心だけは里子に出されるという経験をしています。
その体験が彼の人生に暗い影を落とし、大人になってもどこかで無条件の愛を求め彷徨い、女性に救いを求めるような生と性におけるよりどころのなさにもつながっているように感じられます。
最初に述べた通り、茶の本は英語で書かれた本であり、岡倉天心が日本語で書いた茶の本は存在しません。それは、今私たちが触れている日本語の茶の本のテクストは、すべて誰かが訳した=誰かの解釈の反映されたテクストです。
この新訳では、時代としての不安定さ、組織としての不安定さ、そして個人としての心の不安定さという3つの不安定さに翻弄されながら、愛とやすらぎ、世界のあるべき姿に理想を求め続けた人間としての岡倉天心像をもとに、現代という時代に「この文章はこういう風に伝えるべきではないか」と、訳者である高崎が個人的な研究の上で解釈した新訳であり、アカデミックな定説とは違う意訳も相当含みます。
その点をあらかじめご承知の上、お楽しみいただければ幸いです。
ふたたび戦争という不安が世界を覆う現代において、この新訳が誰かの「美しくも愚かしい」時間になることを願って。

高崎健司
1983年千葉県生まれ。
2005年国際基督教大学教養学部卒。
ソフトバンク(株)で4年半Webサイト構築の仕事に従事した後に、独立。
2011年、ECサイト制作に特化したnon-standard world株式会社を起業。
2022年、「揺れやすい心のよすがになる物事を作る」というコンセプトのもと、
yori.so gallery & labelを立ち上げ、アーティストと物事を共創する。
美しさとは?人の心とは?組織とは?という問いを探求するなかで、岡倉天心の茶の本と出会い、その魅力に取りつかれる。