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エミリー・ディキンソン「蜘蛛が銀の玉 ひとつ抱きかかえ」

この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

mai kurosaka 67


こんにちは。
灰色の空が広がり、お天気ぐずつく日が増えてきました。空のご機嫌に振り回されて、体調や気分が、すっきり晴れない日も多くあります。おかわりありませんか。

先日、雨あがりの遊歩道の植え込みに、十以上の小さな蜘蛛の巣ができていました。レースのような巣には一面、小さな雨の丸いしずくがくっついて、そのひとつひとつが、日の光にキラキラ輝いていました。まるで、銀色に光る、雨後のオセロ大会のようでした。

この時期は、雨の恵みを得て、草木が育ち、虫の活動も活発になってきますね。働くアリの数も増え、花から花へ舞う蝶や、クローバーに集まる小さなハチ、そして、できれば、家の中に入って来て欲しくない虫も……その対策も、そろそろ始めなくてはいけないころです。

数年前、家族がムカデにかまれたことがありました。玄関で靴を脱ぎ、スリッパをはいた瞬間、痛みに叫び出し、こちらは何が起こったか分からず、おろおろ。その瞬間、見たことのない大きなムカデが、マッハのスピードでリビングの奥へと走り去るのが見えました。

救急センターへ電話しながら、腫れあがる足を応急処置。幸い、大事には至りませんでしたが、その後、カーテンが揺れるだけで大騒ぎするほど、取り逃した大ムカデに、しばらく怯えて過ごしました。アナフィラキシー症候群の心配もあり、今もムカデを見ると過剰に反応してしまいます。

私の住む場所は、自然が豊かなのはいいのですが、いろんな虫が家の中に入ってきます。でも、考えてみれば、私たちの方が、後から引っ越して来たわけで、彼らの場所にお邪魔しているのは、こちらの方なのでは、と思うようになりました。

それからというもの、虫のみなさんになるべく迷惑をかけぬよう、家の周りに結界を張るがごとく、自衛を心がけるようになりました。具体的には、玄関に虫の好まないハーブを植えたり、窓を開けるたび、ハッカスプレーをシュッとひと吹きしたり。心なしか、思わぬ遭遇に悲鳴をあげることが減りました。家のなかに、爽やかな香りも広がり、一石二鳥です。

ハーブやハッカに、全くおかまいなしの様子なのは、蜘蛛です。家の中、外、かまわず、よく巣を作ります。でも、お互いに使わない空間を共有しているので、現役の巣は、そのままにしています。そして、空き家になったものは、もういいよねと取り去るようにしています。  

どこにいようとも、自分の世界を、淡々と作り上げる蜘蛛。  
今日は、銀の糸が織りなす、儚い宇宙を感じる詩をおくります。  

The Spider holds a Silver Ball
In unperceived Hands ―
And dancing softly to Himself
His Yarn of Pearl ― unwinds ―

He plies from nought to nought ―
In unsubstantial Trade ―
Supplants our Tapestries with His ―
In half the period ―

An Hour to rear supreme
His Continents of Light ―
Then dangle from the Housewife's Broom ―
His Boundaries ― forgot ―

蜘蛛が 銀の玉 ひとつ 抱きかかえ
手のうち 見せぬまま
ひとり 軽やかに おどりながら
真珠の糸を ほどいてゆく

何もないところから
何もないところへと
編みあげてゆく
命をつむぐ そのためだけに
気づけばもう
壁の飾りに 取ってかわって

1時間もすれば それはすばらしい
光とひと続きの世界が できあがる
つぎの瞬間 家のひとの ほうきに ぶらり
世界の継ぎ目は もう過去のもの

よく晴れたある日、近くの森におじゃましたときのことです。歩き疲れ、座ったきりかぶに、先客がいました。ムカデです。一瞬ドキッとしましたが、森のムカデは、日光を浴びながら、ひたすら、ぼーっとしていました。どれが手か足か分からないですが、時折、もぞっと手足を動かしながら。
あの日、スリッパの大ムカデは、私たち以上に、びっくりし、怖かったのではないか。本来は、こんなにも、のんびりした生きものなのに……ごめんよと思いながら、森のひとときを、ともに過ごしました。

穏やかに、そっと暮らしていたいだけ。

その気持ちは、虫も、人も、同じなのですよね。

この手前は、私の世界。
その先は、あなたの世界。

互いの世界の境界線を、探りながら、
ひとつの世界を、分けあえたなら。

でも、ひとつを共有することは、
人同士となれば、さらに難しい。
気づけば、際の、せめぎ合い。

心を開け放しても、安心していられるハッカの香りが、
心の窓際にも、シュッとひと吹き、欲しいときがあります。
お互いに、「いい自分」のままで、いられるために。

一方で、ハッカをまいても、まかなくても、
おかまいなしの気ままな関係にも、憧れながら。
そして、一度でいいから、あの透き通る銀の玉を、
腕いっぱい、抱きかかえてみたいものです。

ハッカの香りは、夏の、心の、窓が開く合図。
あなたの元にも、届きますように。

また手紙を書きます。

あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ

小谷ふみ

プロフィール写真

書く人。詩・エッセイ・物語未満。 うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。

夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。

本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。

http://kotanifumi.com/