エミリー・ディキンソン「自分の居場所を決めるのは その心」
by 小谷ふみ
この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。
こんにちは。
日ごと気温が、急上昇したり急降下したり、何を着ればよいやら毎日悩んでいましたが、春のご機嫌はようやく落ち着いたようですね。クローゼットから出しては、しまってを繰り返していた冬の服も、やっとクリーニングに出しました。身にまとうものが薄くなると、気持ちも少し軽くなったような気がします。おかわりありませんか。
1年ぶりに、春ものの服を出し、ふと冷静に並べて眺めてみたところ、何だかどれも、似ている服ばかり。
たまには気分を変え、ちょっと違うタイプの服を着てみたくなり、さっそく買いに出たのですが、いいかなと手に取る服は、またいつもと同じ感じの服……。ひとつ隣の店の「あの服」を選んだら、知らない自分が現れたりしてと妄想しながら、結局、何も買わずに帰ってきました。
「自分らしさ」というものは、いつも私の味方で、心地よくも心強い、一番落ち着く「居場所」です。それはきっと、これまで選んできたものの数々……着るもの、食べるもの、行くところ、話すことば……ひとつ、ひとつから出来上がっているのですよね。
知らず知らず、「自分ぽいもの」を選び続け、出来上がったのは、脆そうで実は簡単には崩れない「自分らしさ」。これに寄りかかって過ごすことは、とても楽ではありますが、たまに窮屈で、ちょっと味気なく感じることがあります。
「自分らしさ」の外にもある、「好きなもの」と出会わないまま、この一生を終えていいのかなと、思ったりもして。
私の友人で先輩でもある方が、60代で大型2輪の免許を取り、ご両親の介護を経て、70代直前で念願のハーレーに乗るようになりました。
日ごろは、晴れの日も雨の日も、着物がユニフォームのような彼女。身にまとうもの、一枚でも薄く少なくしたい酷暑の待ち合わせにも、凛とした着物姿で現れました。私が不躾に、「暑くないのですか」と尋ねても、「夏の着物は、見る方に涼を分けるものなのよ」と微笑む。その笑みに、真夏の風に揺れる、風鈴の気持ちを見たような気がしました。
そんな彼女が、着慣れた着物を脱ぎ、黒い革ジャンを着て、結い上げた髪をほどいてヘルメットをかぶる。
白い足袋のかわりにレザーブーツを身につけて、自分の身体より大きなバイクにまたがり、風を切って走ります。
着物の裾にすら、わずかな風も起こさず歩く彼女が、ブルルン、ドロロン、ズドドドドと、地鳴りのようなエンジンを吹かし、爆音の彼方に、新たな自分を見つけて。
あふれかえるものの中、手に取れるものも、目に見えないものも、どれもいいけど、どれでもない。自分が欲しいもの、求めているものすら、分からなくなることがあります。「選ぶ」感性が、すっかり硬直しワンパターンに陥っている私にとって、彼女の激変は、とても眩しいものでした。
私たちが選べないのは、生まれおちる場所と、生きる時代。
でも、ある時、ある場所で、
自分の命を得たそのあとは、選択の連続です。
選んだもの、同時に、選ばなかったもの、
そのひとつ、ひとつで自分が作られ、
周りの世界は、彩られてゆきます。
自分らしさの中で、また、外で、
「ここに決めた」や「あなたに決めた」と、腹をくくる。
その瞬間、閉じながら、開いてゆく内なる世界。
今日はそんな、「心決めた瞬間」を思わせる詩を送ります。
The Soul selects her own Society -
Then - shuts the Door -
To her divine Majority -
Present no more -
Unmoved - she notes the Chariots - pausing-
At her low Gate -
Unmoved - an Emperor be kneeling
Upon her Mat -
I've known her - from an ample nation -
Choose One -
Then - close the Valves of her attention -
Like Stone -自分の居場所を決めるのは その心
扉を閉じたら
与えられた多くのものに
背を向けて心動かされない
小さな門の前に
迎えが来ていることに 気づいても
心揺れたりしない
その入り口で
立派な人が 膝をついて 待っていても私には分かる
多くの生きる選択肢から ひとつを選んだら
それからは もう何も見えない 聞こえない
かたい石のように閉ざす その心を
よく行く図書館でのことです。ずらりと並ぶ棚を前に、「ここにある、ほどんどの本を読むことないのだな」と、手に取る本もまた、世界に入ってゆきやすいものばかり選んでいることに、ちょっともったいなさを感じました。
その日から、「選ぶ」リハビリを兼ね、毎週行くたびに、図書館の端の棚から順に、必ず1冊の本を選んで帰ることにしました。手を伸ばすことはなかった分野の棚の前に立ち、「この中から1冊、選ぶぞ」と、小さな覚悟を決める瞬間、それは調べものの本を探す時とは、明らかに違う感覚です。本日の棚の本を、くまなく、じっくり、吟味して、タイトルの意味すらよく分からない本の中から、「君だ」と1冊、手に取る。
そうやって選んだ本を開く時は、知らない国に初めて足を踏み入れるような気持ちです。
そのうち、ずっと手元に置いておきたい本にも出会い、本屋さんで買い求めると、自宅の本棚の「色み」がちょっと変化してきたようにも感じます。
そうして選ぶものが変わってくると、少しずつ「自分らしさ」も、グラデーションのように変化してゆくのかもしれませんね。
でも、
自分らしくても、自分らしくもなくても、
結局、何を選んだところで、
実は、自分の果ては、どこまでも自分。
そのことに、
ちょっとガッカリしながら、
ほっと安心して。
あなたが、あなたであれば、
それだけで、私は嬉しいのです。
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ
小谷ふみ
書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。
夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。
本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。