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エミリー・ディキンソン「月と星の灯りが 道を照らし」


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by 小谷ふみ

この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

mai kurosaka 25


こんにちは。
暮れゆく秋のため息が、街路樹を赤や黄色、橙(だいだい)に染めてゆきます。丘の上まで続く「いろは坂」も、カラフルな葉っぱのグラデーションに縁取られました。坂道のカーブの途中で振り返ると、深く色づいた町を一望できます。もう少し背が高かったら、あなたの町のいちょう並木も見つけられそうです。おかわりありませんか。

今日は、いろは坂をのぼりきったところにある、丘の上の喫茶店で手紙を書いています。
私の住む町は、アニメ映画の舞台になったことがあります。休日には、いろは坂や丘の上で、カメラをさげた映画のファンの方とよくすれ違います。この喫茶店は、多くの方が旅の羽休めに立ち寄る場所となっています。

「さあ、どうぞ」といつも開かれた扉に入ると、アニメの主人公がお世話になりそうな愛らしい雰囲気のおかみさんが出迎えてくれます。
テーブルの上には手書きの町歩きマップ、壁には映画のポスターが飾られています。棚には、原作漫画やノベライズ本、そして、訪れた人たちから贈られた手書きの絵なども並べられています。

2階の席は一面大きな窓ガラスで、丘の上をよく見渡せます。景色の真ん中にあるのは小さな円盤のバスロータリーで、盆栽のようによく手入れされた植え込みになっています。春は桜、夏にはセミの声、秋は紅葉、冬は雪に染まり、季節ごとにその装いをガラリと変えます。
ロータリーの周りを、車やタクシーが秒針のようにくるくると、そして、20分おきにバスが長針
のようにぐるーりと巡ります。丘の上のロータリーは、この町の時計のようなのです。

「次のバスが来るまで、本の続きを読もうかな」と20分タイマーが時を刻み始めたところで、おかみさんが頼んだコーヒーを持って来てくれました。そして「お客様からいただいたの。よかったら召し上がってね」とメニューにないおやつを出してもらえました。
常連さんや、ここを気に入った旅の方が、お土産を持って再び来られることが多いそうです。運がいいと、こうしてコーヒーにおともが付いて来るのです。今日は、お芋のパイでした。

ちなみに前回は、コーヒーゼリーでした。パフェグラスに乗せられた、ぷるぷるの黒いゼリーに、ほんのり甘いクリーム。時計盤から踊り出るように咲く桜を眺めながら、小さな銀のスプーンでひと口。それは、ほろ苦く甘く、混ざり合った黒と白が、互いに引き合うような濃密な味でした。これを機に「大人のそっけないデザート」というコーヒーゼリー観は、すっかり変わってしまいました。そして、食べものとも、一期一会があることを知りました。

帰り際に、差し入れてくださった方にお礼を言おうとしたのですが、「今、あのバスでお帰りになったところです!」と、ロータリー脇の停留所から、ちょうどバスが出発したところでした。

バスは、コーヒーゼリーの旅人を乗せ、桜吹雪の向こうへ、ゆっくりと消えてゆきました。
丘の時計の針は、どれほどの旅人を運んで来たのでしょう。

目を閉じて、時計の真ん中から、
旅する自分を眺めてみたくなる。
今日は、そんな詩を送ります。

The Road was lit with Moon and star -
The Trees were bright and still -
Descried I - by the distant Light
A Traveller on a Hill -
To magic Perpendiculars
Ascending, though Terrene -
Unknown his shimmering ultimate -
But he indorsed the sheen -

月と星の灯りが 道を照らし
木々はきらめき 佇んでいた
遥かな光のなか
丘の上に旅人がひとり
魔法にかけられたような急な坂道を
地を踏みしめ 登ってゆく
向かう先はゆらめき 果ては知れない
ただ その光を感じながら

この町の丘を訪れるのは、人間だけではありません。

今年の夏には、新たな旅人の存在に気づきました。
毎年、夏の夜に「ワンワン!ワンワン!」と犬が一定のリズムで鳴くのです。ずっと犬の夜鳴きだと疑わなかったのですが、今年はふいに「あれは犬ではないのでは」という話になりました。
「次、鳴いたら、声の方へ行ってみよう」と待ち受け、ある夜、その時が来ました。濡れた髪でパジャマのまま、夜空に遠く響く声を辿り、できるだけ音を立てずに夏の夜を走りました。

声は、私たちを丘の上に抜ける竹やぶの通路へと誘(いざな)いました。息を潜め、耳を澄ますと、一本の大きな木の上から、「ワンワン!ワンワン!」とはっきり聞こえてきました。
調べてみると、声の主はアオバズクでした。アオバズクは、夏になると日本を訪れる旅の鳥です。

見上げた木に、アオバズクの姿を捉えることはできませんでした。ただ、木々の隙間に、白い三日月がぷかりと浮かんでいました。 あの月から見たら、私たちとアオバズクは、同じ木に佇んでいるように見えるだろうな。そう、アオバズクと自分を、遥か遠くから眺めた夜でした。

丘の上の時計が、月が、
今日も旅する者を、迎えては、見送っています。

長い目で見れば、私たちもみんな、
ある一時期、この世を訪れ、いずれ去る旅人です。
旅のあいだ、互いに、近づいたり、遠ざかったり。
時に、言葉を交わしたり、交わさなかったり。

でも、
出会わなかった出会いが、心にずっと残ることがあるのです。

外は、冷たい風が吹き始めたようです。
赤茶色の葉っぱが一枚、窓に張り付いて、ひらひらと手を振るように飛んでゆきました。
行く先は、冬でしょうか。
あなたが、暖かく過ごしていますように。

また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ

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小谷ふみ

書く人。詩・エッセイ・物語未満。
うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。

夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。

本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。

http://kotanifumi.com/