新訳 「茶の本」 第二章:茶の流派(1/4)

by 高崎健司
< 前回からの続きです。
第二章.茶の流派 (1/4)
茶は芸術作品であり、その高貴な味を引き出すには熟練の技が必要である。
絵画にも名画とそうでないものがあるように、茶にも良いものと悪いものがあり、残念ながら後者の方が多い。
レシピに従えば完璧なお茶を入れられるわけではない。マニュアルに従えばティツィアーノや雪村の絵画が描けるわけではないように。
茶葉には一つ一つ個性があり、その物語を引き出すには、水と熱との調和が必要であり、真に美しいものはその調和の中にある。
茶の湯という芸術のシンプルかつ基礎を成す法則を理解できないことで、われわれの社会はいかに退屈なものになっていることか。
宋の詩人は、この世界に嘆かわしいことが三つあると悲しげに述べた。
間違った教育による若者の堕落、誤った称賛による芸術の劣化、そして上質なお茶を間違った扱いでだめにしてしまうこと。
芸術と同じように茶にも歴史と流派があり、その発展は大きく3段階に分かれる。
茶葉を煮出す餅茶、泡立てる抹茶、湯を注いで飲む煎茶である。
現代に生きる人々は、最後の流派に属し、茶の味わい方は、その時代ごとの特徴を示している。
人は自分の人生という作品の作者であり、無意識の行動は、心の奥底にある思想を表現してしまうのだ。
孔子は、『人は隠れることはできない』と言った。
些細なことで心を露わにしてしまうのは、隠すほど大きな何かを持ち合わせていないからであろう。
日常の中で、お茶を飲むというささやかな習慣の中にも、その民族が築いてきた詩情と哲学の理想の境地がある。
ヨーロッパにおいて、どの年のビンテージワインが愛されるかは時代と国民性によってそれぞれ異なっているように、どんな茶を愛するかは東洋文化の心の在りかを示している。
煮出した餅茶、泡立てられた抹茶、湯に浸して淹れられた煎茶というお茶の飲み方の移り変わりは、中国の唐、宋、明と移り変わってきた歴史のうねりの刻印でもある。
濫用されがちな芸術の分類を借りるなら、それらをそれぞれ、茶の古典主義、ロマン主義、自然主義の流派と呼ぶことができようか。
茶の木の原産地は中国南部で、中国の医学や植物学では太古より知られてきた。
茶は古典において、荼(とう)、荈(せつ)、茗(めい)、檟(か)など様々な名前で呼ばれており、疲労を回復し、心を明るく、意志を強固にし、視力を回復する効果が謳われてきた。
茶は内服薬とされただけではなく、リュウマチに効く練り薬として外用されることも多かった。
信仰において、道教徒たちは、不死の仙薬の重要な材料と見なしていた。
仏教徒たちは、長い瞑想の中で、眠りに負けてしまわないように茶を利用した。
四、五世紀になると、茶は中国、長江流域の人々に愛される飲料となっていた。
今に伝わる「茶」という漢字が生まれたのもこの時期で、これは古い「荼(とう)」という字が変化したものであった。
中国の南朝の詩人たちは、茶の泡を翡翠の宝石のような美しさになぞらえて、いくつかの詩片を残しており、当時の皇帝は傑出した功績を残した臣下に対し、稀少な製法の茶葉を褒美として与えることがあった。
しかし、この時代のお茶の味わい方は非常に原始的なものであった。
茶葉を蒸して臼でひき、団子状に丸め、米、生姜、塩、オレンジピール、香料、乳、そして時には玉ねぎと一緒に煮込んでいたのだ!
この習慣は今日でもチベットやモンゴル部族の間に残っており、これらの材料から不思議なシロップを作る。
また中国の商人から茶を学んだロシア人に、紅茶にレモンを入れる習慣が残っているのは、この時代の名残りであろう。
茶を原始的段階から開放し、茶文化と呼べるまでの洗練へと高めたのは、中国の唐の時代であった。
八世紀中頃、茶に、陸羽という最初の使徒が現れたのである。





