新訳 「茶の本」 第四章:茶室(1/7)
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by 高崎健司
< 前回からの続きです。
新訳 「茶の本」 第四章:茶室(1/7)
石と煉瓦による伝統的な西洋建築と比べ、木と竹で建物を作った日本建築は、到底建築と呼べるものではないと思われるかもしれない。
しかし、最近になってようやく西洋建築に造詣の深い研究家が、日本の壮大な寺院を見てその完成度に賛辞を惜しまなくなった。
伝統建築ですらこの有様なので、茶室のもつ繊細な美しさの意味を門外漢に対してわかりやすく伝えることは難しい。
その構造と装飾の美学は、西洋の美学とまったく異なっているのだから。
茶室は、日本人の言う「草庵」、ただの小屋であることをいささかも隠そうとしない。
「すきや」の本来の字は「数寄(好き)」であって、「好みの家」を意味していた。
後の茶人たちは、それぞれの茶室観に応じて別の漢字を当て、「空き」と書けばからっぽの家、「数奇」と書けば、非対称の家を表すようになった。
それが「好みの家」であるのは詩的な魂を宿すために建てられた、はかない建築物だからである。
それが「空の家」であるのは、その季節の折々の美しさの表現のために添えられる品のほかに、一切の装飾を排しているからである。
それが「非対称の家」であるのは、不完全なものへの崇拝に捧げられ、見る人の想像力によって作品が完成するように、わざと未完の部分を残しているからである。
茶道の理想は、十六世紀以来、日本の建築に強い影響を与えた。
その影響はあまりに大きく、今日のごくありふれた日本家屋でさえ装飾があまりにミニマムであるため、外国人の目には殺風景に映るほどである。
独立した建物として最初の茶室を生み出したのは、千宗易(せんのそうえき)、後の名で「千利休(りきゅう)」として広く知られる偉大な茶人だった。
彼は十六世紀、太閤である豊臣秀吉の庇護のもと、茶の湯の作法を定め、これを芸術の域まで高めた。
茶室の寸法は、利休の師である茶人、紹鷗(じょうおう)によりすでに規定されており、初期の茶室は普通の座敷の一部を、茶会のため屏風で仕切ったにすぎないものであった。
この仕切られた一角は「囲(かこい)」と呼ばれ、母屋の中に造り込まれた独立していない茶室は、今なおこの名で呼ばれている。
数寄屋は、以下のものから構成される。
まず、茶室そのもの。
これは一部屋に多くとも五人しか入れないよう設計され、
さながら「美の三女神(グラティア)より多く、詩の九女神(ムーサ)より少なく」という言葉を思わせる人数である。
次に、水屋(みずや)。
これは茶道具を茶室へ運び入れる前に洗い、清らかに整えておく控えの間である。
最後に待合(まちあい)。
これは客が茶室へ招じ入れられるのを待つ場所であり、その待合と茶室とをつなぐ庭の小道を露地(ろじ)と呼ぶ。
茶室の外見はとても質素なものであり、日本の家屋の中でもっとも小さいものよりもさらに小さく、その建築に使われる素材は清貧の思想を感じさせる。
これらはすべて深い芸術的な思慮の結果であり細部にいたっては、荘厳な宮殿や寺院に費やされる以上の入念さで作り上げられている。
優れた茶室は普通の邸宅よりも費用がかかる。
その素材は職人の手仕事であり、並々ではない注意と集中力を要するからだ。
事実、茶人に雇われた大工たちは職人の中でも別格の存在であり、その仕事は漆塗りの飾り棚を作る者の手業にも決して劣らないほど繊細なのである。

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