新訳 「茶の本」 第三章:老荘思想と禅(2/6)

by 高崎健司
< 前回からの続きです。
第三章.老荘思想と禅(2/6)
はじめに記しておきたいこととして、老荘思想はその正当な継承者である禅とともに、当時の南方の中国の心情における個人主義的な傾向の体現である。
これは儒教に影響を受けた北方の中国の共同体主義的な傾向と対をなす。
中国はヨーロッパに匹敵する広大な国土を持ち、それを貫く二つの巨大な河川によって、北と南の地域文化の違いが育まれた。
揚子江と黄河は、ヨーロッパでいう地中海とバルト海のような存在だ。
ラテン民族がゲルマン民族と異なるのと同様に、数世紀にわたる統一を経た今日においてなお、南方の中国人は思想においても信条においても、北方の同胞と異なっている。
古の時代、南北のコミュニケーションが今よりもなお困難であった世、とりわけ封建時代においてこの思想の隔たりはもっとも際立っていた。
一方の芸術と詩歌に息づいたニュアンスは、他方のそれとはまったく違うものであった。
老子とその弟子たちや揚子江の自然派の詩人たちの先駆をなす、屈原(くつげん)の抒情詩には、同時代の北方の知識人たちの散文的で味気ない現実的な倫理観と相いれない理想主義を見出すことができる。
老師は紀元前500年ごろの人物であった。
道家思想のはじまりは、長い耳の翁と称された老子の登場よりも遥か前であった。
中国太古の文献、とりわけ易経には、すでに老子の思想の萌芽が見られる。
だが、紀元前十六世紀の周朝建国をもって頂点に達した古代中国文明の法と慣習があまりに強すぎたため、個人主義の発展は長きにわたって抑圧されていた。周朝の崩壊をもって、数多の独立王国が生まれ、ようやく自由な思索が花開くことになる。
老子と荘子はともに南方の人であり、後に老荘思想と呼ばれる新たなる思想の最も偉大な提唱者であった。
一方、孔子はその多くの門弟とともに、儒教を提唱し、古代の法慣習を守ろうとした。
老荘思想を知りたければ、儒教を知る必要があり、その逆もまた真であった。
前に述べたように、老荘思想における絶対とは、相対そのものであった。
倫理においては、老荘思想は法律や道徳で人々を縛り付けることを批判した。
老荘思想において善悪すらもとても相対的なものであるからだ。
定義とは思考停止である——「不変」や「恒常」は、成長の終わりである。
屈原は「聖人は世を動かす」と言った。
私たちの常識や倫理は、過去の社会がそれを必要としたから生まれたものであるが、社会とは常に同じであるだろうか?
共同体の伝統を守るということは、体制のために個人が犠牲を被ることを意味する。
教育は、この巨大な幻想の維持のために、人々にある種の無知を強制する。
人々は本当に徳のある人間になることではなく、従順に振る舞うことを教え込まれるのだ。
我々が不徳なのは、いつも人からの見られ方ばかり気にしているからだ。
我々が良心に逃げ込むのは、他者と本当の言葉で話すことを恐れるからであり、自尊心に逃げ込むのは、自分自身の本当の姿を直視するのを恐れるからである。
世界そのものがこんなにも嘘であふれているのに、どうしてそれと真剣に向き合うことができるだろう!
自分にとって損か得かのだけの計算で動く精神が世界に蔓延している。
名誉だの、純潔だの!
見よ、「正義」や「真実」までもが商売の道具になっているではないか。
いわゆる宗教と呼ばれるものでさえ金で買える。
その実は、花と音楽で神格化された道徳に過ぎないが。
教会からその装飾品を剥ぎ取ったなら、何も残るものはない。
それでも値段が呆れるほど安いおかげで、この商売は大いに繁盛している。
祈り一つで天国に行くことができ、免罪符一枚で名誉ある市民権が手に入る。
早く才能を隠すがいい。もしあなたの能力が世界に知られたら、たちまちオークションにかけられ、最高値をつけた商売人に落札されてしまうから。
なぜ人々はこんなにも自分を宣伝したがるのか?
それは私たちの本能に刻まれた奴隷制度の慣習に過ぎないのではないだろうか。





