あなたのいない夕暮れに vol.1: エミリー・ディキンソン「草葉はそこに佇むだけで」

この連載は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けする手紙のようなラジオです。

mai kurosaka 66


あなたへ

こんにちは。夏の入道雲を見送り、迎えた秋の高い空にやっとひと息つけるころになりました。おかわりありませんか。

雨上がりの今日は、午前中に久しぶりの庭仕事をしたのですが、長い梅雨、そして暑い日々を乗り越えて、草木も少しホッとしているように感じました。

午後から買い物や図書館に行くつもりだったのに、思いのほか草抜きに時間と体力を奪われてしまい、ひとやすみしながら、土の匂いが立ちこめる庭で手紙を書いています。

土と同じ目線になってみたら、3ミリくらいのバッタの赤ちゃんや、5ミリくらいの小型のゲジゲジ虫、地球の素肌に生まれ育つ、幼い生きものたちに出会いました。

私たちもミリの大きさから始まって、細胞分裂を繰り返し、この大きさになってきたわけですが、ここまで大きく、そして増えてしまう間に、ちょっと複雑になりすぎてしまいましたね。

土から目線を上げてみれば、そこに佇む木や花たちは、自分の命を育む分だけの光や水を求め、周りの生きものと支え合って生きていて。

コンクリートの上では、「生きるためだけに、生きる」ただそれだけのことが、どんなに難しいことかとため息が出ます。

今日は、そんな私たちの目線を、道路脇にふと逸らしてくれるようなエミリー・ディキンソンの英語の詩に、私なりの言葉を添えておくります。

The Grass so little has to do
A Sphere of simple Green
With only Butterflies to brood,
And Bees, to entertain
And stir all day to pretty tunes
The Breezes fetch along,
And hold the Sunshine, in its lap
And bow to everything,

And thread the Dews, all night, like Pearl,
And make itself so fine
A Duchess were too common
For such a noticing,

And even when it die, to pass
In Odors so divine
As lowly spices, laid to sleep
Or Spikenards perishing

And then to dwell in Sovereign Barns,
And dream the Days away,
The Grass so little has to do,
I wish I were a Hay

草葉はそこに佇むだけで
飾り気のない緑の広がりに
蝶は我が子をあたため
ミツバチは遊ぶ

そよ風が運ぶ優しいメロディに
一日中揺られながら
ふところに日だまりを抱き
あらゆることに深く頷いて

そして
一晩中、真珠のような夜露をつなぎ
首飾りにして身にまとうから
どんな華やかに着飾った者も霞んでしまう

やがて生涯を終える時も
自らの命の匂いに包まれながら
味を失うスパイスのように
香り消えゆくハーブのように横たわる

それから雨風しのげる囲いの中で
夢うつつの日々を過ごすだけ
草葉はそこに佇むだけで
私は次の扉が開くのを待ちながら
横たわるだけの草になれたらいいのに

昼を過ぎてから、風が少し強くなってきました。

今日は、自宅から外に出ることなく、庭の草木の気持ちになりながら、親しい友人に手紙を書き、詩をひっそりと残す。まさに、ディキンソンの世界そのもののような午後を過ごしました。
自分自身を生きるのにちょっと疲れた時、誰かのように過ごしてみるのもいいなと思いました。

草木の香りを抱いた安らかな風が、あなたの住む町に吹きますように。
願いを込めて、また手紙を書きます。

あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年秋 小谷ふみ