あなたのいない夕暮れに vol.2: エミリー・ディキンソン「宝ものをにぎりしめて」

この連載は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けする手紙のようなラジオです。

mai kurosaka 62


あなたへ

こんにちは。秋と冬がすれ違うかすかな風を、スカートの裾に感じる季節になってきました。おかわりありませんか。

季節の変わり目は、頭痛がする日があるのですが、その引き金となる失くし物をしてしまって、ちょっと困っています。眼鏡です。手元を見る時だけにかけるので、ちょっとどこかに置いたまま忘れてしまうことがしばしばで。

何かを失くすたび、これまで失くしてきたものたちのことも思い出しては、「ああ、あれは結局どこに行ってしまったんだろう」と、ちょっと胸がチクリとします。

失くしものは、日用品だったり、思い出の品だったり。物じゃないないものもあります。
それは、途切れてしまったあの頃の夢や、あの時の目標や。大好きだったあの人との時間や。 それから、自分の誕生日を迎えるあのワクワク感もどこに行ってしまったんだろうと思いましたが、それは失いながら別の感情が引き出されて来ました。
失くしものにも「その先」があるのですね。

失くしたものは、今もどこかにあって、遠くからこちらを見つめている。そんな風に感じることがあります。

「いま、君から何が見えますか?」

私から離れていったものたちから、私はどんな風に見えているんだろう。失くしたものから見える景色を手繰り寄せたら、再び巡り会えるような気もして。

そんな後ろ髪を引かれながらも、今日は「失くしたものが残すもの」が、愛しくなるような詩をおくります。

I held a Jewel in my fingers —
And went to sleep —
The day was warm, and winds were prosy —
I said "'Twill keep" —

I woke — and chid my honest fingers,
The Gem was gone —
And now, an Amethyst remembrance
Is all I own —

宝ものをにぎりしめて
眠りについた
その日はあたたかく
吹く風はいつもと変わらなかった
「ずっとこのままで」そう思っていたのに

目が覚めたら
宝ものはどこかに消えていた
嘘のつけないこの指を責めたくなる
そして今、アメジストの透き通る記憶が
この手のひらに残されたすべて

私たちは、時間や若さや、あらゆるものを失い続け、その記憶にすっと背中を支えられ、そっと押されるように、生きていゆくのですね。

私の失くしものは頭が痛いですが、いつかあなたが失くしたものが、あなたを見守ってくれていますように。遠くで、いつも祈っています。

あなたのいない夕暮れに。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ