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エミリー・ディキンソン「傷つく誰かの心を守れたなら」

この連載は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

mai kurosaka 02


こんにちは。
強い日差しにカーッと照りつけられたり、急な雨にザーッと降られたり、あわただしく交互に使う日傘と雨傘を、晴雨兼用ひとつの傘にしたら、どんな空もさあ来いや、と思えるようになりました。
今月、私はまたひとつ年を取ります。半世紀近く生きても、心の中の日照りや大雨、どちらにも使える心の傘は、なかなか見つからないものですね。おかわりありませんか。

先日、数々の引越しとともに、我が家の食器棚にあり続けた、りんごの形の白いお皿を割ってしまいました。それから、あまり時間をたたず、家族が大切にしているお茶碗も......。
なかなか打ち明けることができず、お茶碗を使わずに済む、丼やカレー、麺ものなどを食卓に並べ続けましたが、2週間が限界でした。なんとか、修理したお茶碗を手に謝ることができ、「形ある ものは、いつか壊れるから」という言葉に、一瞬救われました。でも、見る度に傷跡は痛々しく、胸の内にもヒビが入ったように、ため息が漏れ出ます。

この感じは、持病が再発したり、いつもの道で大怪我をしたり、町で知らないおじさんに急に怒鳴られたり、親しくしていた人との関係が修復できなくなったり......目には見えない壊れたもの の破片で、心に傷がついた時の感覚によく似ています。

こんなことなら、ずっと使わず、棚の奥にしまっておけばよかったのか。そんなことも頭によぎります。あれがよくなったのか、これがよくなかったのかと、ぐるぐる考え、つまるところ、もう、物事に波風立たぬよう、自分の心が揺れないよう、どこにも行かず、誰にも会わず、ただじっとしていればいいのか、と。

形があるものは、いつか壊れる。形がなくても、傷つくし、元には戻せない状態になってしまうことがあります。でも、それを恐れて、ずっと棚の中に居たら、それでは生きていることにならない。物も、人も、この世界に降り立ったら、傷つきながら、壊れながら、何もせずにはいられないのだなと、半ば諦めのような、覚悟の決まらないヤセ我慢のような心境になりました。

どうにかくっついた傷を、「これは私の生きた印」なんて思えるようになるには、時間がかかります。それでも、お茶碗も、私も、まだ、がんばれそうです。

こんなこともあり、この夏は誕生日を前に、最近の私のテーマである、ちゃんと「使い切る」という意識がより強くなったように感じます。それは、エコ的な意味とはちょっと違うものです。昔から、気に入った布やシール、好みの便箋や葉書を集めては、ただ眺めるのが好きだったのですが、ある日、私がいなくなったら、これらは必要なくなったものとして処分されるのだと、せつない気持ちになりました。
ならば、自分でちゃんと使い切ろう、物がこの物であることを、まっとうさせてやろうと、真剣に、目の前の布の気持ちになったりして。

今は、彼らのベストな使われ方を考えるのが楽しいです。ミシンの登場も、手紙や葉書を出す頻度も、増えました。

同じように、私の拙い言葉を添え、あなたにおくってきた詩は、私の心が小さく集めてきたもの です。言葉が手紙の風に乗り、私のかわりに、あなたに会いに行ってくれていたわけですが、離れていても、便箋の四角い窓から同じ景色を眺めることができたなら、書いてよかったと思えそうです。

こうやって、自分が得てきたものを、何かのために手放してゆけたら、どんなにいいでしょう。おこがましい願いというのは承知で、この命もまた。

今日は、そんな切なる願いを託した詩を、おくります。

If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin Unto his nest again,
I shall not live in vain.

傷つく誰かの心を 守れたなら
生きてよかった きっとそう思える
生きる痛みを 和らげることが できたなら
苦しみを 癒やすことが できたなら
ぐったりした コマドリを
巣に戻してやることが できたなら
生きてよかった きっとそう思える

......とはいえ、私たちは、毎日毎日、生活しているだけで、あっちこっち壊れたり、いろいろ割れたり、もう、大小さまざま傷だらけ。今日を、明日に渡す、それだけで精一杯な日も。
自分も、みんな、大きらい、そんな夜もあります。

与えられた日々を使い切る道すがら、何かの誰かの「ためになる」のは、自分を生きる、そのおまけくらいでいい。でも、そのおまけの、魅力と威力たるや。
何かのために、生きたい。誰かに、必要とされていたい。ここに、時に本体をしのぐ、大いなる付録が隠されているわけです。
子どもが夢中になる、おまけがすてきな、お菓子のように。

でも、たいそうなものになろうとしなくても、先ずは、自らの命の歩みを。
前向きも、後ろ向きも、足ぶみだって、自分の歩み。
その道すがら、目の前で転ぶ人に、そっと手を差し伸べられたなら、
隣で涙を流さず泣く人の、背中をさすれたなら、
それで十分。

そうやって、世界は、
傷つけ、傷つけられ、反対側では、救い、救われ、
自ずと、お互いさまを、巡ってゆくでしょう。

それはまるで、「好き、嫌い、好き、嫌い......」を繰り返す、 いつかの花占いのように。

どうか、あなたが、
世界に、自分自身に、
差し出すさいごの一枚が、「好き」で、ありますように。

追伸

あなたのいない夕暮れに、
手紙を出しに家を出る時はいつも、
日傘も、雨傘も、晴雨兼用の傘もいらない、
しばし、世界中のかなしみを忘れてしまうほどの、
夕焼けの空でした。

ありがとう。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて

 最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。

「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。

その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。

彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。

2020年 秋 小谷ふみ

小谷ふみ

プロフィール写真

書く人。詩・エッセイ・物語未満。 うろうろと、おろおろと、揺らぎながら揺らがない言葉を紡ぎます。

夫と息子とヤドカリと、丘の上で小さく暮らしています。いまやりたいことは、祖父の一眼レフを使いこなす、祖母の着物を着こなす(近所のスーパーに着て行くのが億劫でなく、そして浮かない)こと。

本「よりそうつきひ」(yori.so publishing)・「やがて森になる」・翻訳作品集「月の光」(クルミド出版)・詩集「あなたが小箱をあけるとき」(私家版)など。

http://kotanifumi.com/