オーウラマイの本音でドン!

記憶にございません。

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自分が覚えていない、自分の行動や言葉を、相手がしっかりと覚えていたとき、過去の自分が目の前に現れたかのようで、ドキリとします。

先週のこと、約10年ぶりに高校時代の友人と再会しました。10年前と言えば、大学生の頃。お互いがもっている相手のデータがあまりにも古過ぎて、再会した前半は大笑いしながら質問攻めのアップデート作業。「いつ結婚したの」「相手は誰、どこで出会ったの、どんな性格なの」「どこに住んでるの」「どんな仕事しているの」。ようやく近況がわかったところで、昔話に花が咲きました。

彼女は、私が高校一年生のとき同じクラスになった友人。その年の秋頃にはお父さんの転勤でアメリカへ旅立ってしまいました。アメリカへ行ってしまった後も、私たちは文通を続け、どうやらものを贈り合っていたようで。というのも、お互いに自分が相手に送ったものを覚えていないのです。

「まいちゃん、GLAYとかユーミンとかを入れたMDを送ってくれたよね。」

なんと!私は勝手に自分の好きな曲を選曲して、J-POPと縁遠くなっている友人を思って、送りつけていたようで。決して彼女に頼まれたわけではなく、あくまでも勝手に。なんて厚かましい!というか、図々しい!というか、押し付けがましい!(笑)。まったく身に覚えのないことなのですが、突然17歳の自分が目の前に現れたようで、恥ずかしくてたまらないけれどもどこか微笑ましいような、くすぐったい気持ちでした。

私も彼女から受け取った、文通時代の大切な贈り物の記憶はありました。それは、当時大好きだったマット・デイモンが載っているアメリカのティーンズ雑誌。当時は簡単に手に入れられないということもあり、マット・デイモンの記事を大切に切り抜いて、手帳に貼って持ち歩いていました。しかし、友人は全く覚えていないと言うのです。

ただ、二人とも共通していたのは、その贈り物を受け取ってとても嬉しかったこと。自分がしたことにこんなにも責任をもっていないとは、少々焦る気持ちもありますが、受け取ったほうが記憶に残るんだなと思うと、やっぱり“give”は大事だなあと。

きっとものをあげるだけじゃなくて、相手に伝える言葉も “give”。そういえば、自分では言った覚えがない言葉を夫が覚えていたりして「私は記憶にございません!」とケンカをすることもしばしばあるような(笑)。人と関わって生きていく中で、絶えず無意識に相手に “give”はしていて、そこに意識をもてるかどうかは自分次第なんだなと再認識しました。相手に対する言葉も行動も、ていねいに、大切にしていきたいと、あらためて心に想うのです。

お知らせ

心がひとりぼっちになった時、そっと言葉で明かりを灯してくれる本、当店オリジナル、作家小谷ふみ著書「よりそうつきひ」が発売となりました(ご購入はこちらから)。 どこか切なくて、寂しくて、愛しくて、ホッとする。なんでもない一日を胸に焼き付けたくなるようなショートエッセイが束ねられた短編集です。読んでいると大切な人の顔が心に浮かんでくる世界が広がっています。

この記事を書いた人:

「よりそう。」館長。時として編集長に変身し、ライターとして駆け回り、ドローンも飛ばしちゃいながら、訪れるみなさんをお出迎えします。好きな本は、稲葉俊郎『いのちを呼びさますもの』。好きな料理は、さつまいも料理。
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いただいた言葉たちは、大切に読ませていただきますとともに、こちらの連載にてお返事させていただいております。

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