ドキュメント“ものをつくるということ”

ドキュメント“ものをつくるということ”|作家・寺井暁子 vol.3「誰かの飾らない『生きる』に触れること」

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時間の本

10年後、ともに会いに』は「時間の本」だと寺井さんは話す。この本には時間が流れている、と。1章のヨーロッパ・北米編は「相手の時間」。2章のイスラエル・パレスチナ編は「私の時間」。3章のエジプト編は「場の時間」。

ヨーロッパ・北米編は旅の中で少しずつ文章にまとめていた。しかしイスラエル・パレスチナの旅を通して、自分の感情が大きく揺れた。そこ拍車をかけるようにエジプト革命が起きる。まずはヨーロッパのことを書き上げることを優先した寺井さんは、滞在が長引いたダハブという島で1章の執筆をする。2章のイスラエル・パレスチナ編は、帰国後に1週間ほどで書き上げた。「ひたすら書いてました。止まってはいけないと思って。2章は『熱』の章。告白とか打ち明け話みたいに、自分のことをさらけだすときって、一気に言わないとその勢いがなくなってしまうから。毎日朝の3時くらいまで書いて、どんなに手が痛くてもここで止めたらだめだって思ってました。」

世界が優しくなるために必要と思っていること

3章は最終的には「場の時間」と決めた、エジプト編はこの本に含めるかどうかでも議論をしたという。人の繊細な部分が書かれた前半部分と違って、映画の中のようなドラマチックな展開をするエジプトの内容は、それまで表現してきた繊細さを消してしまうのではと不安だった。さらに、エジプトで出会った覚えきれないほどの登場人物たちのこと。新聞記事を書くライターに相談すると、普通ならば3人以上出てくると読者が混乱するからNGだと言う。

しかし、革命の中心になったタハリール広場という「場」を語るために、寺井さんは実際に感じたカオスを表現してみることにした。刻一刻と景色の変わるタハリール広場と、「どうしよう」と揺れながらエジプトに生きる人たち、場の揺らぎをそのまま伝えたいと思った。そしてこのカオスのまま、この本はラストを迎える。音楽で例えるならば、不協和音で演奏が終わるようなもの。「はじめは、結論のない本なんて読んでくれる人に失礼すぎるって弱音を吐いていたんですけど、読んだ人にもやもやを託せないと意味が無いかなって、最後は腹を括りました。」

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ここで一度編集作業に入ろう、と決めてピリオドを打ったラスト。通しの原稿は公園で読んだ。そして読み終わった瞬間の感情は、鮮明に覚えている。「ようやく自分が表現したかったこと、世界が優しくなるためにこれが必要かなと思っていることをひとつ形にできたなあって、嬉しかったですね。公園で一人バンザイとかしてました(笑)。高揚感があったし、山登りをしたときみたいに、疲れているけど幸せだから終わってほしくない、という感覚でした。はっきり一言では表現できないけど、ここから始まるんだなって。」

彼らの言葉にずっと魅了されているんじゃないかな

17歳のときに心に決めた「同世代の友人たちのストーリーを集めて届ける」ということは、本という形で世界に投げかけた。伝えたいという想いを映像や音ではなく「言葉」にした理由を聞くと、なにより友人たちの言葉がすごく好きなんだと強い想いを話してくれた。「彼らの等身大の言葉がすごく美しいなって、ずっと魅了されているんじゃないかな。私の言葉というより、もらったそのままの言葉を加工せずに伝えたいんです。」だから、ものを書くという手段が一番ぴったりと合っている。

本にはあえて自分のメッセージを込めない、何かを押し付けることもしないようにした。それは本を読んだ人と、本に出てくる人が会話できればいいな、という想いがあるからだ。「何者にもなれていないと焦っている人たちとか、対外的な言葉はもっているけど、自分と語る言葉を失っている人などに届く本だったらいいなと思います。私はそれしかできないし、それでいいんだと思います。」世界を幸せな方向に、その追い風に自分がなるために選んだのが、本を書くという道だ。

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自分より大きなものを継げたんだなって思いました

最後に、この道を選んでいることには運命の力もあると教えてくれた。寺井さんのお祖母さんにはかつて物書きになりたいという想いがあったが、戦争など時代の波に翻弄され、その夢を叶えることができなかった。お祖父さんが亡くなったあと、寺井さんとお父さんで「何か書きなよ」と勧めると、お祖母さんは自身の半生記を綴った文章を書いた。お祖母さんが亡くなったとき、寺井さんはこの半生記を親戚に読んでもらうために無我夢中でパソコンに打ち込んだ。そして「なんだか継いだな」と感じたという。

この想いは今回本を書き上げる中でも、ふいにやって来た。入稿前に大きな壁にぶつかり苦しんでいた時期、たまたまある雑誌の編集者さんから「お祖父さんから受け継いだ言葉を載せませんか」という依頼がやってくる。その言葉とは、「乗りかかった舟は最後まで漕がんと」。亡くなる前にお祖父さんと交わした、最後の言葉だった。

「突然、何年も前のおじいちゃんのその言葉が目の前に現れたわけです。おばあちゃんの夢を私が叶えようとして、苦しくてもがいているタイミングで、そこに乗り込んでくるおじいちゃん(笑)。もう運命だなって。自分より大きなものを継げたんだなって思いました。」寺井さんは乗りかかった舟を最後まで漕ぎ、『10年後、ともに会いに』という本がこの世に生まれた。

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2013年の統計データによると世界の人口は、70億人に達したという。そんな気が遠くなる数の人間が生きているこの世界で、私たちはどれだけの人と「出逢う」ことができるんだろう。寺井さんは、旅を通じて、誰かの飾らない「生きる」に触れてきた。つまりそれは、人と「出逢った」ということ。
きっと私も、寺井さんに出逢えたんだと思う。そこには彼女の「生きる」が眩いくらいに輝いていたから。


■公式プロフィール

寺井暁子(てらい・あきこ)

1982年下北沢生まれ。16歳の時にユナイテッド・ワールド・カレッジのアメリカ校に派遣され、80カ国近くの国と地域から集められた同世代と2年間をともに過ごす。マカレスター大学地理学部卒業。その間にチリ短期留学。卒業後に帰国し、通信会社、ビジネスコンサルタントを経て、旅と物書きのためにフリーで活動を始める。 好きなこと。あてもなく散歩すること。知らない言語の歌を聞くこと。居間のソファーで会話すること。楽器を触ること。焚き火。

Twitter:@9akika6
Website:www.akika.jp

この記事を書いた人:

よりそう。の店長。ウェブマガジンの編集長、オンラインショップの店長業務を担当。2014年から、夫でもある社長・高崎と共に、東京から福岡へ移り住む。海と山とあたたかな人に囲まれながら、息子二人の育児にも奮闘中。

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