ドキュメント“ものをつくるということ”

ドキュメント“ものをつくるということ”|作家・寺井暁子 vol.1『同世代の友人たちのストーリーを集めて届ける』

一日の中で、人は毎日どれくらいの人と会っているんだろう。 通勤電車の中で、立ち寄ったコンビニで、仕事の打ち合わせで、すれ違う交差点で。

人と「出逢う」と、世界が輝く。
『10年後、ともに会いに』の著者である寺井暁子さんはそう答える。

寺井さんは、世界中へ散らばった高校時代の友人を訪ねる旅を通じて、数えきれないほどたくさんの人と関わりをもってきた。「私にとって、人と逢うとは、その人の『生きる』に関わる何かを知ること。誰かの飾らない『生きる』に触れるということです。」

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人って社会に出ている一面だけでもないし、誰かが言う一面でもない

小学生の頃から変わらない、寺井さんが大切にしているものの見方というのがある。人を一面だけでみないこと。ものごとには多面性があるということ。この考え方をもつようになったきっかけは、小学生のときに知り合ったひとりの先輩の存在だった。たまたま登校班が一緒で、毎朝学校まで一緒に歩いていた彼女の先祖には、日本史に名が残っている人物がいた。しかし歴史の教科書の中では、彼女の親戚にあたるその人物が悪人のように扱われている。そのことに対して、「変な感じがした」と寺井さんは話す。

そこで図書館の大人コーナーに入り、その人物の手記を探して読んでみると、そこには教科書には決して書かれていないストーリーがあった。「同じ人が、父であり、祖父であり、息子であり、政治家であり。そして政治家として選択した決断の裏にだって沢山の選択肢と迷いがあって。人って社会に出てる一面だけでもないし、誰かが言う一面でもないんだなって、その時すごく思いました。」このときから持ち続けているものの見方は、進学した高校生活でさらに確固たるものになり、その先の人生でも寺井さんの軸となっている。

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この世代がこの先どう生きていくかを集めたい

高校はユナイテッド・ワールド・カレッジのアメリカ校に進学し、80カ国近くの国と地域から集められた同世代たちと過ごした。国籍も、宗教も、それぞれの社会での経済的な立場も違う同級生たち。世界の見方も様々だった。ちょうど起きていたコソボの紛争や、イスラエルとパレスチナの衝突の捉え方が別れる。日本も関係する戦争の認識や、原爆への認識も違う。日常の金銭感覚も、家族との関わり方も、それぞれが個人として思い描いている将来も、色とりどりだった。 世界のもつ多面性、そして人の深さを肌で感じる日々を過ごすうちに、周りの友人たちがこの先どう生きていくのか、心の中で気になり始めている自分がいた。

そんな気持ちを持ちつつ、帰国した1年目の夏休み。日本のニュースの中では「キレる17歳」という言葉が行き交っていた。コギャル、援助交際、凶悪犯罪。自分と同じ17歳という世代が、ひとくくりにされ、得体の知れないレッテルを貼られていることに、気持ち悪さを感じた。小学生の頃に気付いた、社会に出ている一面だけが真実ではないことを知りながらも、社会に出ている一面によって自分たちも塗りつぶされてしまう。この時ショックにも感じた日本の社会における17歳の存在と、学校で共に過ごしている世界中から集まった同じ17歳の友人たちの姿がリンクした。

「この世代がこの世界でこの先どう生きていくかを集めたいとふと思ったんです。小さい頃から物書きになれたらとは思っていたけれど、これに関しては文章にするこだわりはなく、ただ一番いい形で伝えたい、追いたいって思いました。」17歳の夏、この先の同世代の姿を追うことを決め、いつか友人たちを訪ねていく旅に出ることを胸に誓った。

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熱く語るのも嫌だし、冷めて語るのも嫌

高校卒業後は、アメリカの大学で地理学を学ぶことに。地理学は、経済、政治、宗教、文化などすべての根源である「土地」という空間の多面性で考えていく学問だ。経済学や政治学といった一つの切り口からではなく、多面的にものごと考えたがる自分に合っている学問だと思った。いくつかの理由が重なり、研究の対象として選んだ土地はチリ。高校で仲良くなった友人たちに南米の子が多く、彼らの言葉の美しさに魅了されたこと。日本と一番地形が似ている国だったこと。日本とアメリカの狭間に立つ自分に苦しさを感じ、3カ国目を探していたこと。それらが結びついた先が、チリという国だった。

現地調査も兼ねたチリへの3ヶ月半の短期留学は、濃密な時間だった。そこで出会ったスラム街で生きる同世代の友人との時間。留学から戻ってきてからは、しばらくその時あったことを話すことができなかったという。言葉にすることで、ストーリー仕立てになることを恐れる反面、実際の現地での出来事は映画にでもなりそうなストーリーだった。「ドラマチックだけど繊細な経験でした。熱く語るのも嫌だし、冷めて語るのも嫌だし、心に積もった時間を急いで口に出したらそこに含まれていたものが壊れちゃいそうで。はじめて『本に書こう』と思いました。」

しかし一度は書き始めたチリの物語は、まだ完成せずに筆が止まっている。小学生の頃からの「作家になりたい」という夢を持ちつつも、サラリーマンの両親を見て育ったため、当時は会社以外で働くことのイメージができず、卒業前には就職活動を始めた。

もっと人の感情とか、悩みとか揺れとかの近くにいたい

はじめ就職するならば、楽器メーカーで働きたいという気持ちをもっていた。ところが、そこから内定をもらったのは、既に別の就職が決まり働き始めていたタイミング。家では小さい頃から一緒に暮らしていた大切な祖母が体調を崩しはじめている。東京を離れることにも気が引け、夢であった楽器屋さんへの就職は諦め、そのまま携帯会社に勤めることにした。しかし現場勤務を経てこれから本社勤務になれるという3年目を目前にして、その先この会社を辞めなくなってしまう自分が怖くなり、転職した。

会社に勤めてみると、携帯会社もその後転職して勤めたコンサルティング会社も仕事の面白さはあった。頭では、自分の学んできたことや、経験してきたことの延長戦上に今の仕事があると思えた。ただ、心は違った。「会社の飲み会ではあまり人の本音は出てこなくて、決まり文句とか型にはまった会話が多かった。もっと人の感情とか、悩みとか揺れとかの近くにいたいなって。人はもっと弱いし、人はもっと優しいし。そういうものに触れていない自分に疲れてきてしまいました。」

17歳のときに明確にやりたいと思っていた「同世代の友人たちのストーリーを集めて届ける」ということ。それから10年が経ち、このままやりたいことをやらない人間になってしまうのではないか、という不安に押しつぶされそうになる。「私はやりたいことをやった人になりたい」。そう想い、旅に出ることを決めた。

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この記事を書いた人:

よりそう。の店長。ウェブマガジンの編集長、オンラインショップの店長業務を担当。2014年から、夫でもある社長・高崎と共に、東京から福岡へ移り住む。海と山とあたたかな人に囲まれながら、息子二人の育児にも奮闘中。

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