優しく生きるー 津屋崎に住む友人たちを訪ねる旅

特集|優しく生きるー 津屋崎に住む友人たちを訪ねる旅 第2回「存在を肯定するコミュニティ」木村航さん

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旅の3日目は朝から小雨が降って肌寒い一日だった。暖を取るべく、古民家を改築したCafe and Gallery 古小路(こしょうじ)へ。古小路は曜日でお店のオーナーが替わるカフェだ。月曜日は手づくりのサンドイッチやケーキが食べられる、高校生の娘さんをもつお母さんが担当の日。このお母さんは、手づくり雑貨や看板なども作っていたりと多才だ。今回の旅では自分の家の看板制作をお願いしたくて会いに行った。
入り口で靴を脱いでいると、後ろから木村航さんが友人を連れて入ってきた。旅の初日に続きまたしてもばったり。この後話を聞こうと思っていた人物。木村さんもこのお母さんに頼むことがあってやってきたのだという。こんな風に、週1度のカフェを開いている日に、お客さんが依頼をもってやってくる、そんな母親でもある女性の働き方に、うっすらと未来への道筋が見えるようだ。

木村航さんに聞いた“優しさと強さに纏わる物語”【2013年4月23日】

古小路のすぐ近くには、まちの中心でもある波折神社がある。三百年続いている津屋崎祇園山笠が奉納される神社だ。木村さんはこの場所を「原点というより基本」といって撮影場所に選んだ。どうして津屋崎にいるんだろうと、この場所で日々あらたになる気持ちがある。波折神社をバックに写る木村さんの姿は、何かを背負っているような、それでいて何か大きなものに包まれているような空気があった。

撮影を終えると木村さんの職場でもある津屋崎ブランチに移り、津屋崎へ移住するまでの経緯からお話を伺った。

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こういうときは旅だろう

2009年9月、木村航さんはNPO地域交流センター津屋崎ブランチのスタッフとして、埼玉から移住してきた。

まちづくりというキーワードを意識し始めたのは、2008年のリーマンショックを機に退職を決め旅立った自転車旅行だ。それまでの道のりはというと、大学にはほぼ通わず、学習塾のアルバイトに没頭。卒業後は逆に燃え尽きてしまい、アルバイトを転々とする。就職をした会社でも、「全然だめだめだった」と笑って当時を振り返る。自分探しという流行りの言葉に疑問を感じながらも、やりたいことを常に模索していた。「会社辞めたあとに、また次就職活動しても同じ事の繰り返しだと思ったのね。なんか違う。こういうときは旅だろうって。自転車で埼玉から鹿児島まで行って、そのときはじめて地方都市が疲弊していることを感じた。シャッター街をリアルに見て。もう一方で、田舎にいくと農家レストランとかやっている人たちがいて、こういう地域の人が頑張ってるんだってことがわかって、東京じゃなくて地方にこれからの時代に大切なものがあるかもなって。」

埼玉に戻ると、まちづくりの人材を求めている場所を探し、NPO地域交流センターをみつける。履歴書がはねられても諦めきれず、担当者に手紙を書いた。それをきっかけに、津屋崎ではじまるプロジェクトの話を聞き、スタッフとして行くことを決める。

働くテーマ、生きるテーマがないことに気付いた

江戸時代から製塩と交易で栄え、町家が軒を連ねる様子は「津屋崎千軒」と称されるほど賑わった津屋崎だが、現在は空き家や空き地が増え、若い世代は都会へ出るという、日本の地方都市が抱える問題に直面している。特に西鉄宮地岳線の廃止はこのまちの未来に暗い影を落としていた。それでも津屋崎には豊かな自然や、都会にはない温かい人のつながりが残っている。この魅力を生かすため津屋崎ブランチのプロジェクトは立ち上がった。

国の基金を活用して、全国から木村さんを含む4人のスタッフが移住。HPやブログなどで津屋崎の豊かな暮らしを発信し、空き家を改修して移住の受け皿とした。また暮らしを味わうイベントやまちづくりを学ぶ場を開き、地域内外のネットワークを広げてきた。

そこに地域の行事や消防団などの住民としての務めが加わり、仕事なのかプライベートなのか境がなくなるような毎日。それでも充実していた。「全部初めての経験。新しいスキルが身についていく、赤ちゃんからおばあちゃんまで、都会では知り合えなかった人とも友達になれる。大変なことも自分にプラスになっていっているという感覚があった。」

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2011年に国の基金が終わった後も、スタッフそれぞれがプロジェクトで身に着けたスキルを活かして独立。木村さんは話し合いの方法であるファシリテーションや、Web制作の個人事業を立ち上げた。

ところが個人事業を始めてから、自分にはテーマがないことに気がついたという。まちづくりの中の自分のテーマ。働くテーマ、生きるテーマがない、と。「旅先とかで、自分がなにをやっているかって話すんだけど、ストーリーの底の部分でどういう哲学をもって、どういう方向を向いて、こういうことをやっているだ、ということを話さないと面白くない。自分でも話しててわかってて。やっぱだめなんだって。」

「10人100回」

それから自分に向き合うという気持ちも込めて、波折神社にお参りを始めた。「なんでここにいるんだろう。帰ろうとも思った。周りから期待してもらえるんだけど、そこに自分の意志がのっからないと、どっかでポキっと折れるのが怖かった。」

先行きが見えなくて苦しかった時期、とあるファシリテーターが開催する合宿に参加することに。そこでふっきれたものがあった。若手のファシリテーターとして有名なある人から、こんな言葉をもらった。「10人100回」。それは、師匠となるべき10人に会って、自分の仕事として100回場を持ちなさい、という意味。そのときになってはじめて、自分に何ができるか、何をすべきかが見えてくると。そこから目の前のことに向きあおうと思った。

それからファシリテーションの現場や新しいプロジェクトが増えてきた。焦ることはあるけど、今は「10人100回」の精神で取り組んでいる。今はバラバラだけど、いつか一つのテーマに纏まっていくと思っている。

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存在を肯定する社会、コミュニティであるということ

いま津屋崎にいること。木村さんの辿ってきた道が見えてきたところで、“優しさ”に纏わる物語と“強さ”に纏わる物語を教えてほしいと質問を投げかけた。

「優しさについては、津屋崎を含めて田舎は存在を肯定するコミュニティであるということ。反対に都会は、技術や業績や実績が肯定されるコミュニティ。何をやっています、いくら稼げます、それを認めてもらわないといけなくて、働くと生きるがイコール。証明と実践の繰り返しだなと。」

一方、津屋崎のイベントや活動はお金にならない部分があるのが現実だ。それでも貢献すれば、業績とは関係なく、一人の人間として認めてもらえる。消防団の先輩から言われたのは「良い事も悪い事もみんな見てる」ということ。「丁寧にやればやるほど見てる人はいて、評価してくれる人はいて、頑張った分だけ、無職だろうが新入りだろうが、こいつは人として信頼できるというか、いいやつだってね(笑)。田舎では仕事だけ一生懸命やってはいけないし、コミュニティのこととか、自分がどういう人間であるかを磨く必要があるし、磨く時間がある。」

「見られている」ということはわずらわしいこともある。放っておいてほしいと思うこともあった。それでも徐々に周りから認められてくると、自分がここにいることへの肯定感、あるがままの自分に対する肯定感へと繋がっていった。

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自分を受け入れてくれる社会やコミュニティがあるとき、そこにいる人に何かを返そうという気持ちが働く。関係性の薄い社会や、数値的に人を測るコミュニティでは、そういった気持ちはなかなか湧いてこない。周りに受容されるということは、承認されるということ。それは人を信じることに繋がり、自分の自信へと繋がり、だからこそ人にも自分にも優しくなれるんだろう。

嫌な人とでも生きていかなくてはいけない

次に“強さ”について話してくれた。

「二つあって、一つは嫌な人とでも生きていかなくてはいけないということ。メンバーは限られているんだよね。野球部でいうと都会は200人いる野球部で、田舎は9人の野球部。1人抜けると出場できないから、どんな下手くそでもファーストやんなくちゃいけない、逃げられないんだよね。それに外のメンバーを外せない。けんかしても明日には顔を合わせなくちゃいけない。」

そこには、相手と同じ目線におりていく自分を、許さなくてはいけない試練がある。何かトラブルが起きたとき、「すみませんでした」と言う自分は、相手側の目線になる。それができるのが強さだと木村さんは話す。

「八方美人になりすぎているって言われることもあるけど、敵をつくらないのは大事。小さい中で敵をつくるっていうことは自分の利益にならない。やりたいことは一人でやることじゃなくて多くの人と共有しながらやることなんじゃないかと思っていて、その中で敵は違うところにあると思うからさ。」

メンバーが限られた野球チームは交代ができないから、今いる人を生かす他に選択肢はない。嫌な相手も含めて全員が力を出して試合にでる。いつでも交代を呼べるチームより、今ある状態でベストを出そうとするほうが、想像していないような力がうまれてくるのかもしれない。

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うまく継承していく

もう一つの“強さ”については「うまく継承していくというところ」と木村さんは言う。

まちには、歴史があり、日々続いてきた暮らしがある。それを次の世代に継承していくことがまちづくりの大きな目的だ。その役割を担うことは、覚悟がいるものだと最近感じた出来事を話してくれた。よっちゃん祭のポスターのデザインを担当したときのこと。

「よっちゃん祭をつくった、柴田治さんという人がいて、(既に亡くなっているので)会ったことも話をしたこともない人。ポスターに治さんが書いた文字を写すとき、治さんの事業を俺が受け継いでいるって。治さんが見たら何て言うかなって思ったり。そこでトラブルが起きても、治さんに試されているなって思う。」

木村さんは自身のブログで、心の中での治さんとの会話をこう綴っていた。

治さんは、中学校の美術の先生。津屋崎の風景をたくさん描いています。
だからロゴを使ったポスターやチラシをつくるたび、治さんが見たらなんと言うかドキドキします。
「治さん、今年のポスターはどんなもんでしょうか?」
「まあ、いいっちゃないと。でも来年はもちぃとよかもん作りない」
「はい、頑張ります!」
一度も会ったことがないけど、治さんが喜ぶような祭にしたいなと思っています。

亡き前代の人たちの想いを、受け継ごうとしている若者たちがいることに、津屋崎というまちの強さを感じる。そしてただ「継承する」だけではなく、「うまく継承する」ということの意味とは。

「ちゃんと継いでいくというのは、それをただ引き受けるだけでなく、時代に合わせたやり方とか表現の仕方が必ずあって、それに近づけていく努力をしなくちゃいけない。そして自分の子どもの世代が、このまちに帰ってきたいっていう意志をもつには、親の世代が楽しくしている姿が大事。ちゃんと楽しめるような仕組みづくりをしなくちゃいけない。それは本質だと思う。」

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「自分がこの先10年どうするかは、子どもたちの人生に関わってくる」と話す木村さんの姿には、やはり何か大きなものを背負っているような、それでいて大きなものに包まれたような空気がある。そしてその目の中には、名前と顔が思い浮かぶ子どもたちの姿がしっかりと映っている。

取材を終えると、騒がしく息子と夫(高崎)が戻ってきた。自分は目の前にいる息子以外の子どもたちの未来を考えたことがあるだろうか。そこに何を残すか、どうしたら残せるか考えたことがあっただろうか。親という立場になっていようとなっていまいと関係ない。小さな子どもたちへ渡すバトンは、既に自分たちが握っていることに、今更ながら気付く自分がいた。

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続く

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この記事を書いた人:

よりそう。の店長。ウェブマガジンの編集長、オンラインショップの店長業務を担当。2014年から、夫でもある社長・高崎と共に、東京から福岡へ移り住む。海と山とあたたかな人に囲まれながら、息子二人の育児にも奮闘中。

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