連載

小鳥と石 第4羽

電子書籍(ePub)版はこちら | (小鳥と石 第3羽の続きです)

 嫌いと好きがわからない。
 ママは私を「気持ち悪い子」と言った。
 「どうしてそんな目で見るの?」そう言って黄ばんだ襖をぴしゃんと閉める。
 襖の向こうから「出て行って」と言葉だけが投げられる。
 私は自分がどんな目でママを見てるのかわからなくて、そう言われると泣くこともできずに洗面台に行って自分の目を鏡で確認する。
 そして、私に「出て行って」と言っていたママはある日いなくなった。

 新しいパパを私は伸太郎さんと名前で呼んでいる。ママがいなくなった後、伸太郎さんは「パパと呼んでもいいんだよ」と一回だけ言った。
 それでも私は伸太郎さんと呼び続けている。
 伸太郎さんはそれを「どうして?」とは訊かない。「どうして?」と訊かれないのはちょっとホッとする。
 ママは私に良く「どうして?」と訊いた。
 「どうしてそんな事をするの?」「どうして何も言わないの?」「どうしてそんな目で見るの?」
 私は自分でどうしてそうなのか答えられない。心の中に答えはあると思うのだけど、それをちゃんと取り出して伝えることができない。
 そんな私を見てママは怒る。
 ママがいなくなったのは私を嫌いだからなんだと思う。
 伸太郎さんはそうは言わないけれど、色んな人がそう言っているのを知っている。
 私はママを好きだったけれど、ママは私を嫌いだった。
 好きな人がいなくなるととても悲しい。だから私は伸太郎さんを好きとか嫌いとかの箱に入れないでおこうと思っている。

kotori4-3

 私がまだ幼稚園に通っていた頃、ママは幼稚園の先生と何回か喧嘩をした。
 ママは私が幼稚園で「不当な扱い」を受けるのが我慢できないと言っていた。
 「我慢しなくていいのに」と何度も言われたけれど私は自分が何を「我慢」しているのかさっぱりわからなかった。
 どうやらママは、私の友達だったハルちゃんのママが作ったバッグを私のためにも作れと言ったり、ダイくんが持ってたゲームを私にもプレゼントしろと言ったり、先生に私の分のお弁当を作って来てと言ったりしていたらしい。
 一人でも立派に子供を育てているママは偉くて、子どもはみんなで育てるもの、で、私は「不当な扱い」をうけているとママは電話で良く誰かに向って話してた。
 10年生きてきて思うのは、私が「不当な扱い」を受けてるんじゃなくてママが「不当な扱い」を受けていると感じてたんじゃないか、そして「我慢」していたのはママだったんじゃないかということだ。

 だからママがいなくなった時、なんとなくママは我慢をやめたんだなと思った。
 ママがいなくなっても泣かない私は「不気味な子」で「子供らしくない」とママの妹と言う人が来て伸太郎さんに話していた。
 ママのお母さん(つまり私のお祖母ちゃん)は日本人じゃなくて、それも私を引き取るのには難しい理由の一つだ、と髪をくるくるに巻いたママに似ていないその人は伸太郎さんの淹れた紅茶を飲みながら言っていた。その紅茶はママが大好きでとっておきの時に淹れると言っていたのを思いだして私はまた少し悲しくなった。

 血が違う、とその人は言った。転んで怪我をしても伸太郎さんもママも他の子も同じ色の血が出るのに何が違うのか私にはわからない。でもそれはそう言ったその人の口調できっと大事なことなんだろうと感じたから、ちゃんとずっと覚えておこうと思った。

 好きと嫌いの箱の話はママが昔してくれた。
 「誰かと会ったり何かを見つけたりしたら、それを嫌いか好きか決めちゃうの。決めたら心の中の箱に入れなさい。好きの箱と嫌いの箱。好きの箱は大事にして嫌いの箱は捨てちゃったらいいのよ。」
 だけど好きの箱に入れても失くしちゃうし、嫌いの箱に入れても捨てることはできないって、ママが居なくなって学校で嫌な目にあってわかってきた。

 だから今のところ私はみんな「保留」の箱に入れているようなものだと思う。
 好きとか嫌いとかの箱には入れないけれど、伸太郎さんの邪魔にはなりたくない。
 伸太郎さんは自分のことを「捨てられない人間なんだ」と言って笑う。紅茶のパックもママのことも私のこともきっとそうして捨てられないのだろうと思う。

 ———誰と一緒に住みたい?
 伸太郎さんは訊いて、私はきっと自分では見えないけれど困った顔をしていた。
 何も言わないで居たら私を「不気味な子」と言ったママの妹は帰って行った。
 それからずっと伸太郎さんと住んでいる。

 朝は伸太郎さんのご飯を作ってから家を出る。
 集団登校の待ち合わせ時間は8時。学校に着くのは8時15分。私はみんなが学校に着く頃に家を出る。
 「だらしない母親の子どもはやっぱりだらしないんだって」
 集団登校に少し遅刻した日5年生からそう言われた。私は集団登校では学校に行かなくなった。
 伸太郎さんに何があったのかは話さなかったけれど、先生に話してくれたみたいで私の遅刻は免除となった。

 あの日までは———。

    *

 「遅刻は悪いことだからみんなでどうしたらいいか考えるべきだと思います」
 真っ直ぐな声で大橋さんはみんなに言い放った。
 声はすぐに広がって私と世界との間に見えない厚みのある壁を作った。
 透明なゼリーみたいにふよんふよんしているその壁は私の声を向こう側に通さないし、向こう側の声も私に届かなくする。

 透明な壁が現れたあの日から、ゆきちゃんは私と喋らなくなった。私もその方がいいと思っている。ゆきちゃんは向こう側を選んだんだ。
 給食の時間に机を6人グループでくっつける時に私の机だけが少し離されてたり、男子が私の体操着袋をサッカーボールみたいに蹴る時、マラソンのシールを私がズルして多く貼ったと責められる時、大橋さんの上履きが真っ赤に塗られて私の机の中から見つかった時、ゆきちゃんはちょっと心配そうな目でこちらを見ていた。
 私はそれを誰がしているのか知っている。ばれないと思っているなんて浅はかだと思う。
 大橋さんはいつも「私は平等よ」って顔をして私に話しかけてくる。でも私が返すと無視をする。それが私を傷つけるのに効果的だと思ってるんだと思う。
 実際、情けないことにちょっとは傷つく。
 毎日本当にちょびっとだけ「今日はもう終わってるかもしれない」「今日学校に行ったらみんな普通になってるかもしれない」って思いながら学校に行くから。
でもそんなことは無いのだと、段々と思い知る。
 だから今はもう学校に行く時は心を殺したらいいんだって考える。まだ完全にはできないけど、そうしたらきっと大丈夫になるんじゃないかな。
 伸太郎さんにも先生にも言わない。

kotori4-4

 「小鳥は台風の時どこにいくの?」
 ママにそう聞いたことがある。
 外は昼間なのに夜みたいに真っ暗で、窓ががたがた風で叩かれて割れるんじゃないかとびくびくしていた。
 ニュースでは日本のあちこちで水が溢れて膝まで浸かって歩いている人や、飛ばされた看板なんかを次々と流していた。
そんな日なのにママの機嫌は悪くなくて、私は毛布をかぶったママにぴったりとくっついていた。
 「鳥はちゃんとこういう時、安全な場所があって、そこに避難してるの。」
 「ひなん?」
 「隠れているということ。」
 「おうちにいるの?」
 「お家じゃないかもしれない。鳥は人間と違って守ってくれる人はいないから、自分でちゃんとそういう場所を探しておくの。」

 今の私は台風の時の鳥と同じだ。自分の身は自分で守らなくちゃいけない。そのためにはじっと隠れて台風が過ぎるのを待つんだ。
 だけど。
 安全な場所ってどこだろう———?

 びりびりに破られた大橋さんの宿題が私の机の中から発見されて、大橋さんが泣いて、みんなに犯人だと責められた次の日。家の郵便受けに手紙が入っていた。

  えみちゃんへ
  わたしはずっとえみちゃんと友達だよ。
  また遊ぼうね。
         ゆき

 罠かなって思った。
 大橋さんがにこにこ話しかけてきてお返事すると無視するみたいに。このお手紙にお返事したら男子に回されて笑われたりするのかもしれない。
そう思いながら好きとか嫌いとかもう失くしてたはずなのに、気がついたら私はぽろぽろ泣いていた。
 次の日学校に行くとゆきちゃんはやっぱり私とは喋らなかった。「やっぱり」って思った。まだここは台風の中なんだ。
 だけどお家に帰ると郵便受けにまた手紙が入っていた。

  えみちゃんへ
  学校で話せなくてごめんね。
  前は遊んでくれていてありがとう。
         ゆき

 ゆきちゃんからの手紙は毎日じゃなくて入ったり入っていなかったりする。学校では変わらず喋らない。お返事を出すことは無いのにお手紙が入っていない日は少しがっかりした。
 もっともっと慣れなきゃいけないのに、ゆきちゃんの手紙が私を引き戻す。
 もうお手紙をしないでと言おうかと思った日、郵便受けにじゃなくて制服のポケットにメモが入っていた。
 「お手紙届いてる? ゆき」とだけ書かれた算数ノートの切れ端。
 私はその日勇気を出してゆきちゃんにお返事を書いた。
 「わたしにかまわない方がいいよ」って。

 ゆきちゃんはいつも私を困らせる。前ならえの時にわざと指を押しつけてきてたみたいに。インスタントラーメンの作り方を知らなくて1から教えた時みたいに。

    *

 四角い升目の天井。黒い点が星みたいに並んでいる。視点がひっくり返って私は自分が寝転んで上を見ていることに気がついた。

 その日。給食終わりの時間、大橋さんが泣き始めた。私が大橋さんの牛乳をわざとこぼしたという理由で。
 どうしてこんな風に誰かに意地悪をしたいという理由だけでこんな風に泣けるんだろう?どうしてそれがどんなに醜いことか気づかないんだろう?
 「その目が気に食わないんだよ」
 私はもしかすると私に「どうして?」と訊いた時のママみたいな目をしていたのかもしれない。そう思った瞬間になんだかおかしくなってしまった。
 「笑ってんじゃねーよ」
 「それだから親に捨てられるんだよ」
 「自分の国へ帰れ」
 「死んじゃえ」
 髪を引っ張られて、誰かに突き飛ばされた。こぼれた牛乳の上に転がされた私はきっとみっともなくて、これが大橋さんやみんなが望む姿なんだろうなと思ったら、いつもより強く泣きたくなった。
 泣いてもいいかなと少し思ったけれど、ここまで心を殺そう殺そうとしてたから本当に心は死んでしまってたみたいで、泣くこともできなかった。
 泣いている大橋さんを見ても泣くことはちっとも羨ましくなかった。やっぱり私はママと同じ目をしてたのかもしれない。
 「謝りなさいよ」
と大橋さんが言った。私は何を謝ったらいいのかわからない。私は悪いことをしていないもの。それとも本当に生きていることが悪いのか。
 「死ねばいいのに」
 誰かの声が聴こえた。
 子供はなんて残酷なんだろう、と私は自分が子供なことを棚にあげて思う。誰かの悪意に引っ張られて簡単にこんな風に心を殺す言葉を投げつける。
 私を囲んだ人の円の少しだけ遠くにゆきちゃんを見つけた。困ったね、私はきっとそんな顔をしたと思う。
 そしてそんな顔を大橋さんが見逃すはずがなく、「殺されなさいよ」と刑を科すように言い放った。
 死刑!
 死刑!
 何人かが囃したてながらゆきちゃんを私の前に引き出す。私たちが犯した罪はなんなのかな?この人たちは本当に私の死を望んでるのかな?私が死んだらどんな顔をするのかな?
 罪人に石をぶつけるみたいに言葉が投げられる。
 大橋さんが湖でトンボの翅をむしっていたことを思いだす。殺したいわけじゃないんだ、でも楽しんでいる。興味なのかもしれない。翅をもがれた人間がどうもがくのか。
 それならば
 ———殺していいよ。
 ゆきちゃんの手が、私の頸に伸びて、私の喉がくぅと鳴った。

   *

 保健室の消毒液の匂いがするベッド。目を覚ますとゆきちゃんが全部を先生に話していた。
 やめて。伸太郎さんに迷惑をかけたくない。伸太郎さんの邪魔になったらもう私は行くところがない。
 先生に言いつけたなんて言われたらますます嵐がひどくなるだけで、あの悪意の風雨をしのぐ身を守る場所がなくなってしまう。
 伊藤先生は私の手を握って「何も心配しなくていい」と言ったけれど、それをすとんと信じることなんてできなかった。
 それに私が生贄じゃなくなった代わりに、ゆきちゃんに矛先が向いたりしたらなんの意味もないんだ。
 そう言いながら私はしゃくりあげてわあわあ泣いていた。死んだと思った心は身体が一回死んだ代わりに戻ってきたみたいだった。雑巾みたいに床に突き飛ばされても泣かなかったのに。
 伊藤先生が「ごめんね」と言って私はびっくりした。大人の人が私に謝るなんて。
 「気づかなくてごめんね。」伊藤先生にふわっと抱きしめられて、消毒液の匂いと薄いカーテンの向こうから射しこむ午後のおひさまの光と、隣で泣いているゆきちゃんと、そういうもの全部に少しだけ台風が去ったような気持ちになる。
 帰り、会社を早退したと言って伸太郎さんが迎えに来てくれた。伸太郎さんは怖い顔をしていて、私が迷惑をかけてしまったからだと思った。ちゃんと謝らなくちゃと思うのにこういう時に限ってうまく言葉が出ない。絞り出すようにして「ごめんなさい」とすごく小さな声で言うと「君が謝ることは無い」とやっぱり怖い顔をしたまま伸太郎さんが言った。
 「えみちゃん、僕が怒っているように見えるとしたら、君をこんな目に合わせた人間にだ。そしてその中には君がそんな目にあっていると気づくことができなかった僕も入っている。」
 伸太郎さんは何も悪くないと伝えると
 「君は僕にお母さんに捨てられたように捨てられると思ってないかい?」と言って少し目を細めた。
 「お母さんが戻ってくるかどうかは正直僕にもわからない。でもね、僕は君と住んでいこうと思ってるんだよ。僕たちは多分これから一緒に住んでいくことや君のお母さんのことでこういう目に何度かあうかもしれない。それは君一人の問題じゃなく僕も含めた問題なんだ。だから一緒に考えさせて欲しい。」
 私は伸太郎さんの、私を子供扱いしない話し方がとても好きだ。伸太郎さんをちゃんと「好き」の箱に入れようと思った。

 伊藤先生と伸太郎さんとゆきちゃんのお母さんはそれから何度か学校で話をしていた。伸太郎さんはそのたびに私にちゃんと報告をしてくれた。
 ゆきちゃんとも。改めてその時の事を話しはしないけれど、前みたいに遊ぶようになった。
 大橋さんは少しこの頃元気がない。大橋さんはやり過ぎたのだ。だけど長いすべり台を滑る時みたいにスピードは加速するし、加速したらもう誰も止められなくなるものなのかもしれない。少なくとも私はあの時私に向かって死刑と叫んだみんなの獣みたいな目を覚えている。
 私はみんなと元通りにはまだなれないけれど、嵐の日の小鳥みたいに自分の身を守ることばかり考えずに済むようになった。

 ゆきちゃんと私は秘密を持っている。
 「わたしにかまわない方がいいよ」とお手紙を出した後も、ゆきちゃんから「お友だちでいよう」とお手紙が届いた。
 「おしゃべりもできないのにお友だちじゃないよ」と返すと、ごめんなさい、と、でもやっぱり大橋さんやみんなが怖くて学校ではうまく話せないと返ってきた。
 それで私は「本当に友だちなら私を殺して」って送ったんだ。ゆきちゃんはわかったと書いて、私たちはこっそり会って「私を殺す計画」を立てた。
 あの日、大橋さんの牛乳をこぼしたのは本当にわざとだった。あれだけは大橋さんの嘘じゃなく。
 でもだからと言って、大橋さんがこれからいじめられたら良いとは思わない。
 ———鳥は人間と違って守ってくれる人はいないから、自分でちゃんとそういう場所を探しておくの。
 あれは嵐の日の緊急避難だった。
 うまくいくかもわからない賭け。それに私は本当に死んじゃってもいいと思ってたんだ。
 2人の秘密。

 誰か一人でもいてくれたらそれだけで救われる時がある。
 ゆきちゃんに「ありがとう。ずっと友だちでいようね。」と手紙を書く。
 だけど、心の欠片が確かにあの時一度死んだことを私は知っている。
 身を守るために殺した心と、誰かを傷つける事を覚えたことによって死んだ心と。もう元には戻らない。
 ずっと忘れないんだと思う。それは嵐の風に攫われて、雨に打たれて凍えて死んだ私の中の小鳥だ。

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