ドキュメント“ものをつくるということ”

ドキュメント“ものをつくるということ”|デザイナー・横畑早苗 vol.1『動くからだと布の間の空気が一番好き』

フレアスカートをはいたとき、歩くたびにふんわりと膝に服がぶつかる感触は、なんだか胸の奥がくすぐったくなる。そんな「動くからだと布の間にある空気感」を表現する洋服作りをしているアパレルブランド「atelier nae」は今年の3月で2周年を迎えた。デザイナーの横畑早苗さんは、カジュアルブランドのみならず、舞台衣装やウェディングドレスも手がける。ユニクロでデザイナーとしての経験をもち、自社ブランドを立ち上げたとなれば、誰にも染められないような自分の色をもつパワフルな女性というイメージ。しかし横畑さんはそんなイメージと正反対の、あなたの色に染めましょうと寄り添ってくれるデザイナーだ。いくつもの回り道を経て、今ようやく「これでいいんだ、と自分を許すことができている」と穏やかな笑顔で話してくれた。

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周りからからかわれるくらい真面目で勉強が好きだった

横畑さんは岡山県倉敷生まれ。小学生の頃は剣道を習い、高校では少林寺拳法をやるなどスポーツ少女だった。身体を動かすことは好きだったが、周りにからかわれるくらい真面目で勉強も好きだった。中学3年生のときにみた映画で英語に目覚め、大学は英語を勉強できる学校に行きたいと決める。高校1年生の夏からここしかない!と決めていた大学に晴れて合格し、東京に上京する。

憧れの大学に入り、やりたかった勉強ができる環境に身をおいたものの、周りは帰国子女ばかりで気後れしてしまう自分がいた。「いろんなことが『できない』ってことが強くなっていました。人と会ってしゃべる言葉も当時は岡山弁しかしゃべれなくて『どこ出身?』って聞かれるのが嫌で、友達もそんなに多くなかったです。勉強して帰ってまた勉強しての繰り返しでした。」はじめは楽しかった大学生活も、だんだんと人に会いたくなくなり心も塞ぎがちになり、ついには体調を崩してしまった。精神的に不安定な日が続き、目に映る世界から色がなくなり、白黒の世界に閉じ込められてしまった。それまで意識的には「なにがやりたいか」なんて探していなかった。けれどもこのときはじめて「好きなことってなに」と自分に問いかけた。

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 はぐらかしてもだめだ、洋服つくろう

少しずつ体調が回復してきたのと同時に、白黒の世界に彩りが戻ってきた。気づくと色だらけの世界は眩しかった。すぐに色の勉強を始め、色彩検定を取得した。色を活かす延長線上の仕事は何かを考えていたとき、ある日ふらっと寄った本屋さんで、普段手に取ることもないケイコとマナブをなぜか手にする。パラパラページをめくっていると小さな記事が目に入った。「雑貨コーディネートコース」。専門学校バンタンの募集記事だった。その時、わけがわからないけれど行ってみよう、と決めた。

なぜ惹かれたのか、今振り返ってみると小さな回り道をしていたことに気づく。「大学時代、お休みの日には母に買ってもらった小さなミシンではぎれを買って縫ったりするのが好きでした。でも両親にとってデザイナーという職業はチャラチャラしたものって言われるのはわかっていたから、ダイレクトに進むことはできないけど、なんか方向性が似ているんじゃないか、って感じたんだと思います。」

その回り道にも終わりが見えたのは就職活動のときだった。就職したい企業がみつからず悩んでいると、自分の心の声がだんだんと大きくなってきた。「『何かをつくりたい』という気持ちが心の中にずっとあって、私ができることで且つ好きなことってなんだろうって考えたとき、縫うことだなって思ったんです。 はぐらかしてもだめだ、洋服つくろう、と思いました。」そして2005 年4月、大学を卒業した後、服飾の専門学校へ進学することを決意した。

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動くからだと布の間の空気が一番好き

専門学校に入り、勉強はゼロからスタート。しかし周りをみると自分と似たような状況の人が多かった。「専門学校時代は一番学生時代と言える時期かもしれません。何が好きかって隠さなくていいし、周りもただ洋服がつくりたくてきているから、一番好きなところで共通点があるので何も気にしなくてよかったんです。」入学当初からずっと言われ続けたことは「3年間かけて自分のコンセプトを考えること」。コンセプトを考えるとき、思い出すのは幼い頃の剣道の袴だった。あの「衣擦れ」。あの足に布が触れる感覚。そしてみつけた答えは、「動くからだと布の間の空気が一番好き」ということ。現在のアトリエナエのコンセプトと全く同じである。

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両親やおばあちゃんも着れる洋服を作れるってすごく幸せかも

専門学校での就職活動の時期を迎えたとき、横畑さんはウェディングブランドへの就職を目指していた。ところが募集枠もほとんどなく諦めていたところに、ユニクロの募集が入り込んできた。「自分のつくっているものと全然違うものはわかっていました。大量生産はつめたいって言われるけど、たくさんの人に着てもらえる、ましてや両親やおばあちゃんも着れる洋服を作れるってすごく幸せかもと思って。すごくやりたいと思いました。」

そんな強い想いが実を結び、2008年にユニクロに入社。レディースのカットソー部門のデザイナーとして仕事を始める。ユニクロで作る洋服は、万人受けするど真ん中をみつけるということ。街を歩き、何十冊も雑誌を見て、ひたすらリサーチをした。だんだんと仕事に慣れてきた頃、「この素材を任せるから」と言われて担当した仕事は今でも思い出に残っている。仮縫いの生地でパタンナーさんから見せてもらったときの緊張感、それがサンプルがあがってきたときの感動、やりたいと思ったものづくりの会社で、自分のものづくりができた瞬間だった。

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「自分でやったらええやん」

仕事が楽しくてこれからだ!と思っていた矢先だった。2010年のはじめ、上海異動の話がきた。ユニクロのデザイナー部門がまるごと上海へ異動をするという話だった。いつまで上海にいるかわからない無期限の異動。その年の10月には結婚も決まっていた。もうそこには、辞めるしか選択肢がなかった。退職を決意すると、最終出勤日が3週間後に決められ、心の準備ができる余裕もなく盛大な壮行会をやってもらい、辞める日を迎えた。「なんで私送られているんだろうって。納得できない感じで終わりました。すごく悔しかったです。」

退職日の翌日から始まった、何も仕事がない日々。「昼間の電車になんで乗っているんだろうとか、スーパーでなんで私ネギを持っているんだろうとか(笑)。自分で飲み込めてなかったです。」納得できない終わり方にずっと苦しんでいたとき、ある日突然夫から予想もしない言葉がでてきた。「自分でやったらええやん」。頭にもなかった一言だった。なんとなく再就職をイメージしていたところに突然降ってきた、自分のブランドを立ち上げるという新たな道。「あ!そっか!やるか!って(笑)。はじめは趣味で作り続けていた造花を作ろうと思ったですが、食べていけないしそこまで情熱をかけることができないと気づいたんです。結局私は洋服を作りたい。逃げずに洋服つくろうと思いました。」

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vol.2へ続く

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この記事を書いた人:

よりそう。の店長。ウェブマガジンの編集長、オンラインショップの店長業務を担当。2014年から、夫でもある社長・高崎と共に、東京から福岡へ移り住む。海と山とあたたかな人に囲まれながら、息子二人の育児にも奮闘中。

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