額賀順子(ヌカガジュンコ)連載小説「小鳥と石」

小鳥と石 第2羽

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 「大橋さん」って呼ばれるのは好きじゃない。
 名前で呼ばれる方が好き。
 でも学校ではそれが規則だから、そういう素振りは見せない。

 ママは私が学校から帰るといつも「楽しかった?」と訊く。
 私は「楽しかった」と答える。
 本当は学校はそんなに楽しくない。
 好きじゃない名前で呼ばれて、好きじゃないことばかり真面目な顔をしてこなしている。
 こなしている、なんて相応しくない言葉かもしれないけれど、だって本当にそうなんだ。
 あ、でも。最近は楽しい。
 楽しいを見つけたんだ。

 ママにも先生にも内緒。

 私はどうやったら人が一番傷つくかを知っている。
 期待させるんだ。期待させて裏切る。
 吉田えみが私の方を伺うような目で見る。
 犬の目だ、と私は思う。
 私はにっこりと笑う。
 吉田えみが笑い返そうとしたら、表情を殺して横を向く。
 周りでみんながくすくす笑う。

 吉田えみを嫌いなのに理由なんてない。
 ただ嫌いなんだ。
 伺うように見る目も。
 なんとなく薄汚れた体操服や、皺くちゃなテーブルクロスも。
 発表する時に声が小さいのも。
 誰に怒られることもないのにおどおどしているのも。
 ママの言葉で言うとこういうのは「かんにさわる」んだと思う。

 パパに話してるのを聞いたんだ。
 「あの子変に媚びてるみたいでかんにさわるの。」
 パパはそれを聞いて「育ちが出るんだろう」って言っていた。
 ママとパパは私にはわからないと思って話している。
 私はちゃんとわかっていない顔をする。
 でもわかってる。わかってない顔をしなきゃいけないのと同じくらいわかってる。

 吉田えみの血は4分の1は日本人じゃないこと。
 吉田えみの母親は吉田えみを家において出て行ったこと。
 吉田えみの家に居るお父さんは吉田えみの本当のお父さんじゃないこと。

 だから「育ちが出る」んだって。
 吉田えみは大人に媚びる。

  *

 夏休み最後の日曜日。
 近くの湖にキャンプに行った。
 ママとパパと。パパの友だちと。
 ママは水には入らなくて、パパが居る時しか入っちゃダメだからパパがお友だちとビールを飲み始めると私はつまらなくなる。
 ビールを飲んだパパはそのうち夕飯の準備をし始めて。
 私は一人で湖の浅瀬で丸くなった硝子を拾って集めていた。
 私はこの角が取れてざらざらした手触りになった硝子が好きだ。
 茶色のじゃなくて水色のがいい。
 硝子を拾いながら気がつくとテントからだいぶ離れたところまで歩いて来ていた。
 夏の終わり。湖の周りにはトンボがいっぱい飛び回っていた。
 うじゃうじゃと気持ち悪くなるくらい。
 指をくるくる回すとトンボは目を回してすぐ捕まえることができるってパパが言ってたっけ。
 トンボは指を回さなくてもすぐ捕まった。
 あっけない位。
 なんとなく捕まえたトンボを湖につけてみた。
 翅が濡れたトンボは飛び立つことができずに仰向けに空を見るように湖に浮いた。
 次に捕まえたトンボは翅を千切ってみた。
 少し筋が入った藁半紙を破るみたいに翅は簡単に千切れた。
 翅を失ったトンボはまた別の虫みたいに見えた。
 翅が無くなってもトンボは水には沈まなかった。

 水面からふと視線をあげると、少し小さい影が私を見ているのが目の隅に入った。
 「誰にも言わないから」
 小さな影が言った。
 私は何も悪いことをしていないのに、なんだかすごく居心地が悪くなってママたちのいるテントへ走って帰った。

 その小さな影が吉田えみだった。

  *

 2学期になって学校が始まっても、吉田えみはあの日見たことを何も言わなかった。
 まるで「誰にも言わない」と言ったあの言葉を守るみたいに。
 言ったっていいのに。
 そしたら「なんでそんな嘘つくの?」って言うのに。
 毎日遅刻してくるあの子と、私の言う事だったらみんな私の方を信じる。
 でもなんで先生はあの子を怒らないのだろう。

2

 あの帰りの会の日から吉田えみは遅刻しないで来るようになった。
 できるなら最初からすればいいのに、と思う。
 やっぱり私は間違えてなかった。
 先生は遅刻しないで来た吉田えみを「がんばってるね」と褒めた。

 不公平だと思う。
 ずっと遅刻しないでいる私は怒られることは無いけれど褒められることもない。
 なのにずっと遅刻していた子は遅刻しなくなっただけで褒められる。

 だから。
 私はみんなの悪意を吉田えみに向かせることをやめない。
 
 私は毎日どうやったら吉田えみを傷つけられるかを考えている。
 それは勉強より楽しい。
 完全な無視や、暴力より傷つくこと。
 ずっと無視していたらきっと慣れる。だから私は他のみんなと分け隔てなく話しかける。そして突き落とす。ピアノを弾くみたいに緩急が必要なんだと思う、こういうのも。
 私は吉田えみに「あなたはみんなに嫌われているんだよ」と教えてあげる。

 2時間目の少し長い休み時間、みんなで校庭をぐるぐる走る。
 何周走ったかを壁に貼られたグラフにシールで印をつけていく。1年間で日本を縦断できるくらい走るのが目標と先生は言っていた。 
 そのシールを誰もいない放課後、吉田えみの名前のところにたくさん貼っていく。
 そして次の日私はたまたまそれを見つける。
 「こんなに走ってないでしょう。なんでそんなズルするの?」
 後はみんなが勝手に責めていく。私は何もしない。

 誰かの筆箱の中から無くなったかわいい消しゴムが吉田えみのランドセルの中から見つかったりする。
 吉田えみが先生に怒られた日、私は私の宿題をびりびりに破いてゴミ箱に捨てる。
 誰もいない朝私は私の上履きをクレヨンで真っ赤に塗る。そのクレヨンは吉田えみの机の中から見つかる。
 「どうしてそんなことするの?」
 私は泣く。

 私は寛大だから、先生にもママにも言いつけない。
 吉田えみを育ちが悪いと罵ったりもしない。
 ただ「かわいそうね」と言う。
 かわいそう。
 吉田えみはかわいそうだから、私に嫉妬するのは仕方ないのだ。
 私は、泣きながらかわいそうな吉田えみを許す。
 私はやさしいから吉田えみを許すけれど、私の代わりにクラスのみんなが怒ってくれる。
 吉田えみは何も言わない。

  *

 トンボは翅を千切っても水に浮いて空を見ていた。
 私は吉田えみが沈むのを待っている。

続く

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