冬 島根への旅

料理の心の置き場所を変えた、鶏を絞めるワークショップで学んだ、命のつながり。

<旅の2日目はこちら

島根県雲南市で自給自足の暮らしを実直に続けている妹尾(せのお)さん家族と共に過ごす「food letters」冬の旅の3日目。旅が始まる前、唯一決まっていたプランはこの日の鶏を絞めるワークショップでした。

妹尾さんの家の裏にある鶏舎では、山から落ち葉を集めてきて自然発酵させた腐葉土のふかふかの絨毯の上で、烏骨鶏たちがのびのびと暮らしています。

鶏たちはこの場所でお父さんとお母さんになり、子育てらしきこともするのだとか。餌もろくに食べずに卵を温める姿は、人間の母親と変わらぬ姿だそう。

餌はここにあるものだけを与えているため、動物特有のにおいは一切しません。鶏たちの暮らしは自然の循環の中に組み込まれています。

今までよりうんと料理が上手になると思いますよ

前日の夜、この旅を共に過ごしている案内人のよーよーさん、写真担当の浅田さんとワークショップについて相談をしていたところ、話の流れは「まいさん(私の下の名)、やってみますか?」とcayocoさん。cayocoさんはそれまで2回体験したことがあるそうで、料理への向き合い方が変わったとのこと。

「きっと体験したら、今までよりうんと料理が上手になると思いますよ」。この言葉にぐらぐら揺れ始める心。医療系のドラマを直視できないほど血が苦手な私は布団の中で悶々と悩み続け、やや寝不足で迎えたワークショップ当日。

少し早起きをして近くの温泉に行くことに。曇り空をぼんやり見上げながら露天風呂に入り、「昨日、なかなか眠れなかったんです」と吐露するとcayocoさんが静かにこう応えてくれました。

「鶏を絞める機会ってなかなかないと思うんです。その機会をいただけたことがすごく貴重なんじゃないかなと私は思います。」

cayocoさんのこの言葉で覚悟が決まりました。お風呂で体を温めて、心も整えてさあ、いざ妹尾家へ。

命について考える機会

ワークショップの進行は、妹尾家の主、孝信さん。私たちの他に妹尾家と親交のある土山さんと雲南市役所の職員松陰さんと長女のなつちゃん、そして妹尾家のふたばくんが揃うと、孝信さんのこんな話から会はスタートしました。

「スーパーで売られている若鶏と呼ばれる鶏肉は、約50日で出荷されるといいます。高たんぱく質の餌を食べることで一気に3キロまで太らせる。病気にならないよう抗生物質を与えられ、1平方メートルあたりに16羽が詰められた環境。その中の30%は歩行障害、3%は歩行不能、1%は心臓疾患で命を落とすといいます。人間の都合で、見えないところに多くの犠牲があるんですね。

今日は命についてちょっと考える機会にできればと思っています。僕も去年1回試しただけなので、みんなでああだこうだ言いながらやってみましょう。」

クロー!また生まれておいでー!

今回私たちが命をいただくのは「クロ」と呼ばれるお父さん鶏と、オスの3羽。1羽ずつ鶏小屋で捕まえるところから始めます。まずは手本として孝信さんからスタート。「クロ」を捕まえるとまずは足を縄で結びます。その様子をみて2年生のなつちゃんは「かわいそう」と一言。「そうだよね」と優しく声をかける孝信さん。一つひとつの工程を、もうただ見つめるしかできず、自分の吐く息がやけに大きく聞こえます。

山水が流れる家の裏に、一本の棒を竿のように準備し、そこに鶏を逆さまに吊るします。意を決した孝信さんが「では」と潔く包丁を首にかけます。バタバタと羽を動かすクロ。

「クロー!クロー!大丈夫だよー!」それまで台所でお昼ごはんの準備をしていた妹尾家のお母さん、直子さんがいつの間にか出てきていて、大きな声でクロに呼びかけます。

「ありがとうなー!こわくないぞー!クロー!クロー!また生まれておいでー!」

クロはボス争いに負け、この一年は隅っこで細々と暮らしていたとのこと。唯一この小屋の中で名前をもつその鶏が息を引き取っていく姿を全員で見守ります。そして次は土山さん、その次はなつちゃんとよーよーさん、そして最後4羽目、ついに私の番がまわってきました。

怖がる気持ちが見透かされているよう

私の後ろをそっとついてきてくれるcayocoさん。まずは小屋の中で元気に歩き回る鶏を捕まえるところから。

2年生のなつちゃんはいとも簡単に捕まえていたというのに、これがなかなか難しい。羽をバタバタさせながら何度も何度も逃げられてしまうのです。「ごめんね・・・」そうつぶやきながら怖がる気持ちが見透かされているような気がして、広げる手と共に、心も鶏へ向かって開くように。すると8回目くらいのチャレンジでようやくキャッチ。

羽を両手でしっかりと挟むと柔らかな体温が伝わってきます。顔をのぞくと瞬きさえも愛らしい表情。思っていたよりずっしりとしていて、でもか細くて、感覚としては息子を出産した時のファーストタッチと呼ばれる、生まれたてほやほやの新生児の柔らかさ。

この子の命を今からいただくなんて・・・そう考えると胸に迫ってくるものがあり、呼吸が次第に荒くなっていきます。すでに息絶えた3羽の隣に吊るし、孝信さんから包丁を受け取ります。

「まいさん、絞めたあとも鶏が暴れるかもしれないのでしばらくは抑えておいてください」。そう言いながら、隣に立ち会ってくれるcayocoさん。鶏の目を隠し、首元を伸ばし、包丁を強く握ります。

この瞬間、自分が何を言ったのか、何を思ったのかは記憶が吹っ飛んでしまっているのですが、強く覚えているのはふたばくんの大きな声が寄り添ってくれていたこと。

「大丈夫だよー!となりの3羽が待ってるからねー!!大丈夫だよー!」

「生きた」という記憶を感じたものを取り入れたい

4羽全てを絞め終わると「私、こういうの一応気になるの」といってみんなに塩をまく直子さん。それは人間のお葬式を終えたあとの作法と同じ。目の前の「死」が胸に迫り、うううと涙が溢れてきて土間に座り込んでいると、そばに直子さんが来て、力強くこう話してくれました。

「私は『生きた』という記憶を感じたものを私の中にいただきたいと思っているの。それは鶏だけでなく、畑の白菜だって同じ。今日風に吹かれて『気持ちいい』と感じるのは、鶏が感じたことかもしれない、あるいは畑の白菜が感じたことかなんじゃないかって思うんだよね。
いい記憶も悪い記憶でもよくて、『生きた』という記憶が私の記憶と混ざって私の心も体もつくっていくのだと思う。」

涙が止まらない私を心配してくれたのか、隣に静かにやってきて直子さんの言葉に一緒に耳を傾けているcayocoさん。そこに立っているだけなのに、背中をさすってくれているような安心感が。

さっきの鶏たちは、間違いなくこの場所で「生きた」命。その命を全身で受け取ることが、きっと今の私にできること。

めそめそしている場合じゃない!と気持ちを持ち直して、庭で行われている鶏の毛を抜いていく作業に加わることに。

小さな心臓に驚きながら

絞めた鶏はお湯につけるとするすると羽が抜けていきます。慣れた手つきで羽をどんどん抜いていくふたばくん。その手つきを真似て手伝います。

羽を抜き終わったあとは、本を見ながらの解体作業へ移ります。cayocoさんも自分でゼロから試すのははじめてのこと。骨の場所をしっかりと探りながら、丁寧に包丁を入れていきます。餌袋の中にはたっぷりと餌が入っていて、さっきまで生きていたことをありありと実感。

1羽の解体を終えた後、cayocoさんは台所に移り、直子さんと共にお昼ごはんの準備に取り掛かります。取り残された私は他の参加者の方々の助けを借りながら、恐る恐る解体作業に挑みます。

もうこの時点では理科の実験感覚。臓器を一つずつ出していき、小さな心臓に驚いたり、見慣れたささみに「おお!」と親近感を覚えたり、ポイントを抑えればするすると骨も臓器も外れていくので不思議。

生き物の命がゆっくりと土に還る

料理の準備がひと段落すると、羽や食べられない臓器を埋めるためにみんなでお墓に向かいます。母屋と蔵の間のその場所には、カラスに食べられて命を落としてしまった鶏や、去年妹尾家で命をいただいたウサギなどが眠っているのだそう。

この場所に縁あってやってきた生き物の命がゆっくりと土に還る場所。小雨がしとしとと降る中、みんなで手を合わせます。

何も考えずに作りました

今日のお昼ごはんは、長野県を訪ねた秋の旅でcayocoさんがつくった保存食、バターナッツのペーストや茗荷のオイル漬けが登場。

「何も考えずに作りました」と話すcayocoさんの表情は、いつも以上に澄んでいて、色で例えるなら無色透明。料理という行為が、食材の命を人に受け渡すまるで神聖な儀式のような、cayocoさんはその「仕い手」になったように見えます。

命はつながっていて、生き続けている

鶏の優しい味わいの炊き込みごはんや、茗荷のオイル漬けのソースがかかった手作り蒟蒻など、一つひとつの料理に「美味しーい!」を口々に叫びながら、今日の体験についてみんなで振り返ります。

「改めて命をいただくということを再確認しました。鶏の命をエネルギーとして生かそうと思いました。」とゆっくり言葉を選びながら話すcayocoさん。

その言葉を聞いた直子さんは、こう続けます。
「今朝ね、味噌汁に入れるじゃがいもの芽をとっていて、これも同じだなあと思ったんだよね。芽は伸びようとしているのを取っちゃうわけだから、一瞬躊躇してしまったの。どんどん鈍感になってしまうけど、同じ一個の命であって、鶏もじゃがいももなんら変わらないもんね。」

すると、孝信さんがみんなにこんな問いかけをします。
「植物ってどの時点で終わりって言えるんでしょうね。野菜は葉っぱを一枚取っただけで脇芽はすぐに出るからもはやエイリアンみたいかもしれませんねえ。」

孝信さんの問いかけに、カメラを構える手を止めて浅田さんはこう返します。
「分子、素粒子レベルになると毎日何万っていう細胞が死んだり生まれたりを繰り返していて、死がどこからどこまでなのかわかりませんよね。きっと次の命につながっていて、命は生き続けていて切れていないような気がします。」

その言葉にうんうんと頷く孝信さんは、こう続けます。
「食べておしまいじゃなくて循環して繋がって誰かの命になっていく。本来つながりってあるんでしょうね。お金とほしいものを交換するだけじゃなくて、口にするものも相手の個性を感じられるくらいの付き合い方をしたら、世の中にある大切なものがちゃんと残っていくんじゃないかな。」

受け取った命を、何に還しているんだろう

私はこの体験後、旅を終えて久しぶりに台所にたった時、明らかに目の前の景色は違って見えました。人参に包丁を入れる時、パックから鶏肉を取り出してまな板の上に広げる時、心の置き場所は前とは違う場所にある。

それは外で何かを食べる時も同じで、もういちいち「ありがとう」と思ってしまう。こんなにも「ありがとう」を思う場面が日常で溢れていたことに、今まで気がつかなかった。それが鈍感になっていたことなのかと。

寝る前の布団の中、ふとこの日のことを思い出して目を強くつぶることがあります。やっぱり怖かった。そこまでして肉を食べる必要があるのかなと、身体と心にブレーキがかかる。あの怖さは誰かが肩代わりしてくれているのか、それとも恐怖として浮かび上がることなくこの世界のどこかに沈殿していっているのか。それでも唐揚げの匂いをかげばおなかはグウとなる。

命をいただくことに対する考えはきっと人それぞれ。自分の答えを出すのも難しい。けれどただ一つ忘れたくないのは、私たちの体は数え切れないほどの命でできているということ。

受け取った命を、私たちは何に還しているんだろう。何に繋いでいるんだろう。

命は絶え間なく巡っているから。その流れを、つながりを、心に映しながら今日を生きていけますように。

旅の最終日につづく>

写真:浅田剛司

<INFORMATION>

フタバ印の野菜

妹尾さんの畑でのびのび育った、無農薬、無肥料、不耕起、できるかぎり自家採取の野菜の配達便です。加工品の直売、県外への配送も可能。
電話:090−3651−4029(妹尾孝信)

暮らし体験 ふたば家

妹尾さん家族が案内する農作業と暮らし体験。お昼は、フタバ印の野菜を炭と薪で調理した自然の恵みごはん付き。ランチのみの利用も可(但し、11:00〜14:00)。

時間:9:00〜16:00内(都合の良い時間をお知らせください。)
予約:3日前まで
料金:自由(ドネーション制)
電話:090-9951-5784(妹尾直子)

この特集の目次

  1. できるかできないかではなく、やるかやらないか。島根県雲南市の妹尾さん家族と過ごす、自給自足の暮らし体験。
  2. 生きる力ってなんだろう。旅で始まったデトックスが教えてくれる、心と体の声。
  3. 料理の心の置き場所を変えた、鶏を絞めるワークショップで学んだ、命のつながり。
  4. 食の根源を教えてもらった島根県雲南市の旅。人も、ごはんも、巡り続けるエネルギー。

お知らせ

心がひとりぼっちになった時、そっと言葉で明かりを灯してくれる本、当店オリジナル、作家小谷ふみ著書「よりそうつきひ」が発売となりました(ご購入はこちらから)。 どこか切なくて、寂しくて、愛しくて、ホッとする。なんでもない一日を胸に焼き付けたくなるようなショートエッセイが束ねられた短編集です。読んでいると大切な人の顔が心に浮かんでくる世界が広がっています。

この記事を書いた人:

「よりそう。」館長。時として編集長に変身し、ライターとして駆け回り、ドローンも飛ばしちゃいながら、訪れるみなさんをお出迎えします。好きな本は、稲葉俊郎『いのちを呼びさますもの』。好きな料理は、さつまいも料理。
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いただいた言葉たちは、大切に読ませていただきますとともに、こちらの連載にてお返事させていただいております。

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