言葉の小舟に揺れながら

一番知りたいことは、いつも「沈黙」のなか。第5話 『ちんもくはビター味』—「沈黙の世界」マックス・ピカート

第5話 『ちんもくはビター味』

たまに何を言っているのか、よく分からない難解な本である。
でも、無色の「沈黙」を語る、彩り豊かな言葉に魅せられ、
何を伝えたいのかを知りたくて、その先を読まずにいられなかった。

“幾千となき名づけ得ざる形像のなかに、沈黙はその姿をあらわす。
——たとえば、音もなく歩みよる朝のなかに、
蒼空を指さす樹々の声なきたたずまいのなかに、
まるで忍び足で降りてくる夜のなかに、
黙々たる四季の交替のなかに、
そしてあたかも沈黙の雨となって夜の中へと降りそそぐ月の光のなかに、
…しかし何よりも、人間の心の底に宿っている沈黙のなかに。
沈黙のこれらの形像は、名づけられていない。”
(「沈黙からの言葉の発生」IIIより)

ある本屋で見つけ、この本を開いた時、
周りの音がさーっと、
名もなき沈黙の中へ遠ざかった気がした。

ドイツ生まれの医師で著述家マックス・ピカートによるこの本は、
「沈黙辞典」のように、あらゆる場面での「沈黙」を語る。

目次には、
言葉における沈黙、 自己と沈黙、 歴史と沈黙、 愛と沈黙
時間と沈黙、 詩と沈黙、 美術と沈黙、 病と死と沈黙
など、「◯◯と沈黙」といった扉が並ぶ。

どの扉から読んでも、その沈黙の世界に浸ることができる。
チョコレートのアソートのように、
箱を開けて、食べたいところだけつまみ食い。

だだ、どれも一様にビター味。

「面白くて一気に読んじゃった!」ということは絶対ない。
一行、一行、しっかりついていかないと、
気がつかないうちに、振り落とされてしまう。

それでも、この本に、「沈黙」に、
安らぎや開放感を感じるのはなぜだろう。

この世界では、「沈黙」だけが、
万物に平等に与えられたものではないかと思う。

「時間」の流れさえも公平ではない。
みな自分だけの「砂時計」を抱えて生まれてくるから。

「沈黙」だけが、
誰もがいつでも入手可能、出入り自由。

レコード盤の表裏ように、
世界の裏側は、「沈黙」でできている。

最近、とかく騒がしい。
世の中も、
人の心も。

そこかしこに言葉に似た文字が溢れ、
ときどき泳ぎ疲れ、流されそうになる。

そんな時、
真空のビンに詰めた手紙のような、
この沈黙の本を開く。

沈黙を文字でたどる。
相変わらず、
時どき意味が分からない。

「恋は多弁。
愛は沈黙。」

それを聞いた幼かった息子が、
「ねえママ、『ちんもく』っておいしいもの?」
聞いてきたことを思い出す。

もの書きならば、行間に、
絵描きならば、余白に、
音楽家なら、休符に、
「おいしいもの」を込める。

一番知りたいことは、いつも「沈黙」のなか。

あの時、
なぜあなたが何も言わなかったのかも。


書籍紹介
「沈黙の世界」(みすず書房)
マックス・ピカートによる古典哲学の名著。
言葉、歴史、芸術など様々な事物と「沈黙」との関わり、「沈黙」の意味を探る。

著者紹介
マックス・ピカート(1888年-1965年)。ドイツのシュヴァルツヴァルトに生まれ、
大学助手を勤めた後、ミュンヘンで開業する。スイスに居を移し文筆活動を続けた。

<第6話・9/15公開>

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この記事を書いた人:

もの書き。夫と息子とリクガメと、川沿いの丘の上で暮らす。 日常や世界、音楽や時間を、詩・エッセイ・翻訳にのせて。 代表作「やがて森になる」「月の光」。カレンダー「言葉なきものたちの12ヶ月」 他『扉の言葉』を書いたり、『名まえ』をつけたり。

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