言葉の小舟に揺れながら

生きがいとは、“明日への好奇心”であるという希望の言葉。第2話『10年ごとに開く言葉』ー「生きがいについて」神谷美恵子

第2話『10年ごとに開く言葉』
—「生きがいについて」神谷美恵子

「ねえ、『生きがい』って何だと思う?」

神谷美恵子の本は、私たち女学生のバイブル的存在だった。
その著書の中から「生きがいについて」の英訳を、
一番仲良くしていた彼女は、
卒業論文として提出することに決めた。

ところが、「生きがい」というタイトルの訳から
早速つまずいてしまい頭を抱えた。

本書の冒頭にも、
“生きがいということばは、日本語だけにあるらしい”
そして、
“いかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある”
とある。

その意味をたどり、それっぽい英語の訳を当ててみては、
なんか違うよねと“日本語のふくらみ”なるものに手こずりながら、
よりによって翻訳困難な作品を選んでしまったねえ、と笑いあった。

二人の会話の中では、その意味も価値も、その訳も、
「人によって違うもの」という答えにならない答えしか見つからず、
結局、聡明で美しかった彼女がどんな訳をつけたかは、
なんとなく聞かないでおいた。
21歳の春だった。

それから、
10年後の31歳の秋の夜、この本を再び開いた。
そして、
図らずも10年後の41歳の夏、
また、こうしてこの本と向き合っている。

10年ごとに、開く本。

医師でもある神谷美恵子の、定点カメラのような、
あくまで客観的な考察であるにも関わらず、
時に、風が吹くように心に直接語りかけてくる言葉たち。

そんな心が風に揺れた言葉には、線を引きながら読んできた。

10年ごと読むたびに、
違う言葉に線が引かれているのを目にすると、
そこに、この心の「くみかえ」の跡が見える。

そして、その言葉とともに、
その10年を生きてきたことも実感する。

なかには、21歳、31歳、41歳の私が、
満場一致で印をつけた言葉もある。

そのひとつは、
生きがいとは、“明日への好奇心”である
という希望の言葉。

「生きがい」とは、何か。
その意味と価値を探るこの本に、
決してその「答え」が書いてあるわけではない。

ただ、タイトルの通り「生きがい」というものに「ついて」、
精神医学、哲学、心理学的に、
そして時に、文学的に詩的にと、
多角的に捉えた言葉が並ぶ。

読む側は、頭と心、両方が揺さぶられ、
読後、心地よい疲労感と空腹感が残る。

「ねえ、『生きがい』って何?」
この問いは、ふとした時に心を巡る。

「幸せって、何?」と問われるよりも、
もっと個人的で、鮮度がある生(なま)な問いかけ。

ここに今の私の「生きがい」を、ひとつだけ挙げるならば、
息子の寝顔を見届けたあとで、
「この町のつばめが、一羽でも多く無事に巣立つように」と、
夜の町のつばめの巣を夫と見て回ること。

生きることの複雑さに、
心が砕けてしまいそうになる時があるからこそ、
単純で、ささやかな「生きがい」を拾い集めながら。

“明日への好奇心”とともに、
「また10年後に、会いましょう」と、しずかにこの本を閉じる。

————

作品紹介
『生きがいについて』(みすず書房)
1966年(昭和41年)の初版発行時から40年を過ぎても、
現在に至るまで読み継がれている「生き甲斐」とは何かを問う本。

著者紹介
神谷美恵子(1914年—1979年)。
自らも病に苦しみ、また生かされ、精神科医、文筆家として、その一生を捧げた。

<第3話はこちら

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この記事を書いた人:

もの書き。夫と息子とリクガメと、川沿いの丘の上で暮らす。 日常や世界、音楽や時間を、詩・エッセイ・翻訳にのせて。 代表作「やがて森になる」「月の光」。カレンダー「言葉なきものたちの12ヶ月」 他『扉の言葉』を書いたり、『名まえ』をつけたり。

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