わたしをつくるもの

「戻らなくていいよ。おうちに帰ろう」第3回 花冷えのタクシー

花冷えの桜並木。
深夜メーターの灯ったタクシーとすれ違う。
ああ、あの桜の夜も、こんなだったな。

花の女子大生時代の数年間、片想いの彼がいた。
友達が合コンやら彼とのイベントやらを楽しむ中、
法律の本が詰まったリュックの後ろ姿を見つめ続けた。

その彼が法曹の夢を叶えた、片想いも3年目の春。
私の想いも花咲くかのように思えた彼との花見の帰り道、
彼が「実は…」と口にしたのは、
私の知らない女の子の名だった。

「『行かないで』とか言ってくれるかと思ったけど…
そういうこと、言わなそうだもんな!」

まだつぼみ混じる桜の下、
私の気持ちも知らないで、彼は笑った。

何を言えばいいのか、何を言いたいのか、
よく分からないまま、桜を見上げ、
涙がこぼれないよう瞳に力を入れた。
涙ごしの桜が、あまりにも美しくて、
まばたきを止めた時間と胸が痛かった。

冷たい桜の下、
恋人同士でもない花見帰りの男女2人が
行き着く先を探しているうち、
最終電車を逃してしまった。

そこへ「さあ、もういいでしょう」とでも言いたげに、
タイミングよくタクシーが通りかかったので、
「じゃあ帰るね。彼女と仲良くね」と彼から離れた。
扉が閉まると、どんどん、どんどん遠く小さくなる桜の彼。

するとタクシーの運転手さんが、
「ほんとに、いいんですか?」
とたずねてきた。

「いいんです…」と答えたら、
喉の辺りから溢れるように、涙が止まらなくなった。

「まだ戻れますよ?」
「いいんです…」

ひっくひっく、オイオイ、オエオエ、泣きじゃくる。

そして、彼をずっと好きだったこと。
でも試験勉強中だったからそっと片想いだったこと。
そして、試験に合格したこと。
そしたら、合格した同期の女の子に告白されて、
付き合うことになっちゃったこと。
そのことを、さっき告げられたこと。

タクシーの運転手さんに全部話した。
話しているうちにだんだん落ち着いて来て、
今度は、泣きすぎて、
こんな顔じゃ家に帰れないと困っていると、

「少しだけ遠回りしましょうか。料金はこれ以上頂きませんので。
そして、戻りたくなったら、戻りましょう。」

と、メーターを留めると、
真夜中の花冷えの桜並木をただ走らせてくれた。

23歳の花冷えの春。
桜並木が終わる頃、タクシーは来た道を戻ることなく、
私の青い春も終わった。

あの時によく似た、花冷えの春。
夜中の花見ドライブの週末。

桜並木を走る、深夜メーターのタクシーとすれ違う。

「戻れるならいつに戻って、その自分になんて声をかける?」

夫が、聞いて来た。

ええっ、なぜに今その質問!?
今の全部声に出していたかな、と少しドキドキした。

窓の外に目を向けると、
触ったらあたたかな温もりを帯びていそうな桜が、
風に揺られ、手を振っているようだった。

「戻らなくていいよ。おうちに帰ろう」

運転席の横顔と、
それから、
花冷えの深夜タクシーの後部座席に、
そう囁こう。

flower:つぐみ
photo:Takao Minamidate
撮影協力:toneri

つづく


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この記事を書いた人:

もの書き。夫と息子とリクガメと、川沿いの丘の上で暮らす。 日常や世界、音楽や時間を、詩・エッセイ・翻訳にのせて。 代表作「やがて森になる」「月の光」。カレンダー「言葉なきものたちの12ヶ月」 他『扉の言葉』を書いたり、『名まえ』をつけたり。

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