となりあう日々

その人を想うその心が、 人と人をつなぐ音楽。第4回「沈黙のバイオリン」

沈黙のバイオリン

「『四十の手習い』にはまだ10年もある」と、
大人になって手にしたバイオリン。
でも、次々に押し寄せる
人生のイベントに流され、途切れ途切れ、
ちっともうまくならないまま時が過ぎてしまった。

主婦が音楽を続けることは、
色んな意味で、勇気と覚悟がいるわけで。

それでも、部屋の隅で壁にもたれかかる、
ずっとケースに入ったままのバイオリンを触っては、
どうしたものかと、ひっそりため息。

数々の先生ともすれ違ってきた。

1人目は、元は男性だったのに、
私が病気で休んでいる間に、性別が変わっていた。
2人目は、引っ越しをして通えなくなった。
3人目は、徹底的に左手の「技術」を叩き込む先生だった。

でも、私は「技術」を身につけたいわけではなかった。

ドレミファソラシド、だけでいい。
さすがにそれだけじゃと言うのなら、
「きらきら星」で十分。

「言葉で表現できなくなった時、音楽が生まれる」

ドビュッシーの言葉。
その先が知りたいと、ずっと思っている。

「ありがとう」や「ごめんね」
「おめでとう」や「好きだよ」

シンプルな言葉ほど、
そこに含まれる感情の模様は複雑。
言葉には表せない、この心を伝えるため、
まだ知らぬ音色に出会いたいのだ。

そして、この町の外れで、
4人目のバイオリンの先生と会う約束をした。

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やる気のビックウエーブが来た今、
何度目の正直かと問われれば、これで4度目。
本来、正直は3度まで。
これでダメなら4度目の大嘘つきだ。

先生は、チャーミングなお爺ちゃんだった。
小さめの古いバイオリンそっくりの妖精が、
そのままお年を召したような。

ご自身、地元のオーケストラのコンサートマスターで、
東京と地元を、毎週、毎週、
飛行機で行ったり来たりしている。

そしていざ、初めてのレッスン。
3度目の正直までのことはとりあえず全部忘れて、
大嘘つき、イチからご指導願う。

構え方、持ち方、弓の使い方、体の使い方、
「こんな風に習うのは初めて」なことばかり。
全てが「なるほど」と「そういうことか」と合理的。
それでいて、とても心地よい。

最初の3ヶ月は、音づくりに特に大切なのだと言う。
「いい音色」を作る右手の形を探して体で覚える。

1時間、バイオリンを構え、弓をひくのみだけだったけれど、
ノートに残したメモの向こう側でレッスンは続く。

「肩に力が入り過ぎ、フフ。」
リラックスを心がける。
お風呂で動きを練習するとよい。

「呼吸してないね。ちゃんと息しないとダメダメ。」
弓をおろす時に吐いて、あげる時に吸う。
バイオリンに呼吸を合わせる。

「脱線してもそのまま突っ走っちゃうね、あはは」
回数を決めて練習。
いったん整えてからまた続ける。

先生の明るく柔らかな言葉が、ノートを開く度によみがえる。

音楽とは不思議なもので、
気をつけるべき点は、
すべて暮らし方、生き方に通じてしまう。

力、入りすぎ。
息、しなさすぎ。
とことん、やりすぎ。

音楽という鏡には、真の自分の姿が映るのだ。

バイオリンに、呼吸を合わせ、
やすみ、やすみ、やわらかく。

心が整うと、右手が整う。
右手が整うと、音色が整う。

バイオリンと仲良くなれたら、
なりたい自分になれるような気がしてくる。

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教室に入ると、先生はいつも以上にカジュアル。
Tシャツ短パン、そして、
ドナルドダックのガールフレンド・デイジーの靴下
(真っ赤な大きいリボン付)。
レッスン中、デイジーと目が合ってしかたなかった。

さあ、ではお風呂でのリラックス練習の成果を!
…と言ってもそんなに簡単に身につくはずもない。

穴が空いて燃え出しそうなほど、
バイオリンを睨みつけながら弓ひく私に、
「目で見たことを信じすぎちゃダメなんだね。
目で見えるなんてごくわずか。とっかかりに過ぎない。
結局、全然当てにならないんだよね」

目を閉じて練習することをすすめられる。
すると手のひらや、指先の感覚が生き生きとしてくる。
目を閉じて、指の記憶を重ねてゆく。

そして、
一番苦手な「休符」。
つまり「休む」練習。

カチカチと教室に響くメトロノーム。
カチ、カチ、カチ、カチ、
メトロノームが鳴らない間の沈黙。

「この『カチ』って音だけが音楽じゃないんだねえ。
『カチ』と『カチ』の間の、音のない時。
 ここも、音楽の時間なんだよ」

音が終わる瞬間は、沈黙の始まり。

音楽を求めるとは、沈黙を求めること。
言葉を知ることもまた、沈黙を知ることでもある。

心に沈黙を刻むメトロノームが欲しくなった。

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家族、パートナー、友達、恋人、
大切な人と人の間には、きっと音楽の時間がある。

元気にしてますかと思う間、
楽しいことがあった時、
悲しいことがあった時、
一緒にいなくとも、言葉を交わさなくとも、
その人を想うその心が、
人と人をつなぐ沈黙なる音楽なのだ。

人と人の間に限らず、
誰かの頬にも音楽の時間はある。
頬に涙が流れるまでの瞬間。
頬に笑みが生まれるまでの瞬間。

物事には全て意味や理由があるのだとしたら、
それは沈黙が持つ音色なのかもしれない。

レッスンの終わり、
先生が聴かせてくれた「きらきら星」は、
これまで聞いたどの音楽よりも、
沈黙の美しい音色だった。

この日のレッスンは、心が揺さぶられ過ぎて、
途中、何度か涙がこぼれそうになった。

慌てて少し視線を下げると、
靴下のデカ目のデイジーと目が合って。
危ういところで涙を逃れた。

最後に、
「そうそう!ああダメかもってなった時は、
 ブレーキを踏むんじゃなくて、
 アクセルを離すだけなんだよ」

どんなに長い沈黙が続いても、
音楽はそこにある。

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この記事を書いた人:

もの書き。夫と息子とリクガメと、川沿いの丘の上で暮らす。 日常や世界、音楽や時間を、詩・エッセイ・翻訳にのせて。 代表作「やがて森になる」「月の光」。カレンダー「言葉なきものたちの12ヶ月」 他『扉の言葉』を書いたり、『名まえ』をつけたり。

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